ダニー・ゴーキー

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出生名 ダニエル・ジェイ・ゴーキー
(Daniel Jay Gokey)
生誕 (1980-04-24) 1980年4月24日(45歳)
ダニー・ゴーキー
基本情報
出生名 ダニエル・ジェイ・ゴーキー
(Daniel Jay Gokey)
生誕 (1980-04-24) 1980年4月24日(45歳)
出身地 アメリカ合衆国 ウィスコンシン州ミルウォーキー
ジャンル コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージックカントリー・ミュージック
職業 シンガーソングライター
担当楽器 ボーカルピアノギター
活動期間 2008年 -
レーベル RCAナッシュビル(2009年 - 2011年)
BMG(2013年 - )
公式サイト dannygokey.com

ダニー・ゴーキーDanny Gokey1980年4月24日 - )は、アメリカ合衆国の歌手。ウィスコンシン州ミルウォーキー出身。教会の音楽教師だったが、オーディション番組『アメリカン・アイドル』のシーズン8で3位となり、メジャーデビューを果たした。

パフォーマンス

オーディション番組『アメリカン・アイドル』地方予選に出場する4週間前に妻ソフィアを亡くす(ソフィアは幼少の頃から心臓が悪く、たびたび手術を繰り返したが甲斐なく合併症で亡くなった)。出場を諦めかけたが、番組のファンだった妻のためにオーディション参加を決断。カンザスシティーで行われた地方予選に、親友のジャマール・ロジャース(ファイナリストには残れなかったが、のちに『ザ・ヴォイス』のシーズン2で活躍した)と共に参加。独特のソウルフルな歌声が審査員に高く評価され、ハリウッド予選へとコマを進めた。

地方予選の段階から注目を集め、セミ・ファイナルのTop36ウィークでマライア・キャリーの『ヒーロー』を歌い、13人のファイナリストの一人となる。審査員のサイモン・コーウェルから「ブルー・アイド・ソウル」と評されたハスキーな歌声と高い歌唱力が人気を博し、優勝候補として番組序盤を引っ張った。本選ではTop11のグランド・オール・オプリ・ウィークにおいて指導者を受けたランディ・トラヴィスに認められたことが、のちのカントリー・ミュージック進出へのきっかけとなった[1]

序盤から優勝候補と目されていたものの、Top3週で脱落し決勝進出はならなかった。ちなみに優勝した場合にデビュー・シングルとなる「ノー・バウンダリーズ」を手がけていた審査員のカーラ・ディオガルディは、この優勝曲をダニーに歌わせることを想定して書いたと当時言われていたため、ダニーの脱落時には「オーマイゴッド」と、衝撃を隠しきれず何度も繰り返し呟いていた。

WEEKテーマ曲名オリジナル
オーディション 本人選曲I Heard It A Grapevaineマーヴィン・ゲイ
ハリウッド ソロ 1回目Kiss From A Roseシール
ハリウッド グループ・パフォーマンスSomebody to Loveクイーン
ハリウッド ソロ 2回目I Hope You Danceリー・アン・ウーマック
Top36/
セミ・ファイナル1
Billboard Hot 100ヒーローマライア・キャリー
Top13 マイケル・ジャクソンP.Y.T.マイケル・ジャクソン
Top11 グランド・オール・オプリJesus, Take the Wheelキャリー・アンダーウッド
Top10 モータウンGet Readyザ・テンプテーションズ
Top9 トップ・ダウンロードWhat Hurts The Mostラスカル・フラッツ
Top8 自分の生まれた年スタンド・バイ・ミーベン・E・キング
Top7 映画挿入歌エンドレス・ラブ
(映画『エンドレス・ラブ』より)
ダイアナ・ロス&ライオネル・リッチー
Top7[2] ディスコセプテンバーアース・ウィンド・アンド・ファイアー
Top5 ラット・パックCome Rain or Come Shin
(邦題『降っても晴れても』)
ミュージカルセント・ルイス・ウーマン』挿入歌[3]
Top4 ロックン・ロール デュエット
ソロ
Renegade (クリス・アレンとデュエット)
ドリーム・オン
スティクス
エアロスミス
Top3 審査員選曲 (ポーラ・アブドゥル)
本人選曲
Dance Little Sister
You Are So Beautiful
テレンス・トレント・ダービー
ジョー・コッカー

『アメリカン・アイドル』以降

19 Recordings/RCA Nashville と契約。カントリーシンガーとしてのデビューを決断する。2010年3月2日にはファースト・アルバム『My Best Days』をリリース、発売1週目にしてアメリカ合衆国のビルボードトップ・カントリー・アルバム・チャートで3位、アルバム総合チャートのBillboard 200でも4位を記録した。ニールセン・サウンドスキャンによると、このアルバムの第1週目の売上枚数は約65,000枚、カントリー歌手がデビューの週に売り上げた枚数としては、1992年にBilly Ray Cyrusが記録した9万枚に継ぐ記録となった。また、この週のデジタル・ダウンロードでの販売数は約19,000、カントリー歌手のデビュー・アルバム第1週目のダウンロード数としての過去最高を記録している。[4]

2011年11月にRCAとの契約を解除。2012年5月にEP『Love Again』を自身のウェブサイトでのみセルフリリースした。

2013年にBMG と契約。 コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージックの道へと進出し、音楽活動を本格的に再始動させる。2014年6月にセカンド・アルバム『Hope in Front of Me』をリリース。ビルボードトップ・クリスチャン・アルバム・チャートの1位に初登場した。また同アルバムからの第一弾シングルとなる「Hope in Front of Me」も、2014年8月にクリスチャン・チャートの1位に上昇し、ともに自身初となるビルボードのナンバーワンヒットを記録した。

音楽以外の活動

亡き妻ソフィアの名を冠した慈善団体の代表をつとめ、様々な支援活動を行っている。再婚し、子供をもうけている。自伝も発表している。

ディスコグラフィ

脚注

外部リンク

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