ダラス・ブルース

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ダラス・ブルース」(Dallas Blues)は、ハルト・ヴァント Hart A. Wand に書かれた歌であり、今までに出版された最初の本物のブルースの歌である[1]オー、ユー・ビューティフル・ドール Oh という、最初のヴァース12小節のブルースであるティン・パン・アレーの歌は、これより1年早く出版された。他にも2曲、曲名にブルースと付く歌が1912年に出版された。「ベイビー・シールズ・ブルース」 Baby Seals Blues (1912年8月)というアーサー・“ベイビー”・シールズ Arthur "Baby" Seales 作曲のヴォードヴィルの曲と、「メンフィス・ブルース」という W・C・ハンディ作曲(1912年9月)の2曲である[2][3]。しかしながら、どちらも本物のブルースの歌ではなかった[4]

「ダラス・ブルース」は標準的なブルースのテンポで書かれたけれども(ブルースのテンポ。とてもゆっくり。)[5]、しばしばラグタイムディキシーランド・ジャズとして演奏された。

1918年に、ロイド・ギャレット Lloyd Garrett は歌手のダラスへの憧れを反映させるために歌詞を付けくわえた[6]

There's a place I know, folks won't pass me by,
Dallas, Texas, that's the town, I cry, oh hear me cry.
And I'm going back, going back to stay there 'til I die, until I die.

「ダラス・ブルース」が実際に作曲された日付はわかっていないが、サミュエル・チャーターズ Samuel Charters は彼の著書「The Country Blues」(1959年)のためにヴァントに取材訪問をしたが、彼は著書にヴァントはこの曲をピアノ奏者の友人、アナベル・ロビンズ Annabelle Robbins の所へ持って行き、ロビンズはこの曲をヴァントのために編曲したと記している[7]。チャーターズはさらに、この歌の曲名は、この曲を聴くとダラスへ帰りたい憂鬱に駆られると言う、ヴァントの父親の作業員の一人に由来すると記している。ヴァントの父親は1909年に死んだので、実際に作曲した日付はそれ以前であるに違いない。

いずれにせよ、この歌を出版して数週間の間はミシシッピ川全域で聞かれ[8]、この歌の次に続くすべてのブルース音楽への影響は、申し分なく記録されている。

初期の録音
日付 アーティスト レーベル
1918 Wilbur Sweatman's Jazz Band Columbia A-2663
1920 ルイ・アームストロングと彼のオーケストラ Okeh 8774
1925 Fred Hall's Sugar Babies Okeh 40437
1925 Lee Morse Perfect 11582
1927 Bob Fuller Brunswick 7006
1930 Andy Kirk's 12 Clouds of Joy Brunswick 6129
1931 Ted Lewis & His Band (v. ファッツ・ウォーラー) Oriole 3132
1934 Isham Jones & His Orchestra| Victor 24649
1936 Wingy Manone & His Orchestra| Bluebird 6375A
1939 ウディ・ハーマンと彼のオーケストラ Decca 2629A

脚注

参考文献

外部リンク

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