Wikiwand AI

チムレンガ

From Wikipedia, the free encyclopedia

チムレンガ(英語: Chimurenga)は、ジンバブエにおいて植民地支配や人種差別への抵抗を表す言葉である。ショナ語で「解放闘争」を意味し、1890年代のイギリス南アフリカ会社による支配への抵抗を指す第一次チムレンガと、1965年から1979年にかけて存在した白人が支配する現地政権ローデシアからの解放を求める第二次チムレンガ(ローデシア紛争)からなる。

2000年から始まったロバート・ムガベ政権による農地改革(英語版)を第三次チムレンガと呼ぶこともある。

ンデベレ人の戦士(1896年),ロバート・バーデン・パウエル(英語版)作

第一次チムレンガは第二次マタベレ戦争(en)とも呼ばれており(イギリス人は現地人をマタベレ(Matabele)と呼称した)、ジンバブエにおける最初の独立戦争として知られる。1896年から1897年にかけて、イギリス南アフリカ会社がこの地を支配しようとしたことに北ンデベレ人(英語版)やショナ人が抵抗して発生した[1]。

南アフリカ会社のリンダー・スター・ジェームソン(英語版)はトランスヴァール共和国に自らの私兵を派遣した(ジェームソン侵入事件(英語版))ため、国防は混乱した。これに乗じてムリモ(Mlimo)という指導者が、白人のせいで蝗害や家畜の病気が発生したと主張し、1896年3月にンデベレ人の戦いが始まった。

1896年6月、マシャヤモンベ(Mashayamombe)を指導者として首都ソールズベリーの南西に居住していたショナ人が蜂起した。1896年6月20日、彼らはマショナランド(英語版)から白人の植民を追放することに成功した。しかし3ヶ月後にイギリスの警察組織により再び制圧され、ネハンダ・チャルウェ・ニャカシカナ(英語版)とフワタ朝(英語版)の王(マンボ)が降伏した。ニャカシカナとフワタ朝の王は処刑された。

ムリモはマトボの丘(英語版)でアメリカ人の偵察兵フレデリック・ラッセル・バーンハム(英語版)に暗殺された。セシル・ローズがインピ(英語版)の武装解除を求め[1] 、1897年10月に第一次チムレンガは幕を閉じた。マタベレランド(英語版)およびマショナランドは併合され、やがて南ローデシアとなった。

第二次チムレンガ

第二次チムレンガは、1965年から1979年にかけて起こったローデシア紛争を指す。ローデシアのイアン・スミス政権はアパルトヘイト政策を採っており、独立宣言後も白人による支配を継続した。ロバート・ムガベ率いるジンバブエアフリカ民族同盟(英語版)やジョシュア・ンコモ(英語版)率いるジンバブエアフリカ人民同盟(英語版)といった黒人ゲリラと長期にわたる紛争が発生した[2][3]。

音楽

脚注

外部リンク

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks