チャシ
近世にアイヌが高い場所に築造した施設
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概要
チャシは河野常吉が1906年に『札幌博物学会会報』に「チャシ即ち蝦夷の砦」と発表して以来[4]、長く「アイヌの城砦」として理解されてきたが、戦闘用とするには規模の小さい例や、城砦とは別の用途をうかがわせる口碑・伝説の検討から、見張り場、儀礼・儀式、談判など、城や砦とは別の用途をもった例も考えられている[5]。また、発掘調査の成果からは、祭祀場や資源の監視施設なども想定され、その役割は地域や時期によって異なっていたとされる[6]。
立地の面では、チャシの多くは海や川、湖などに面した急峻な地形上に位置し、壕や郭によって区画された空間をもつ[5]。北海道内には500か所以上が知られ、南東部に密に分布し、その分布はコタンとの密接な関係が推測されている[5]。また、海や川・湿原に面した丘を壕で区画したチャシは、地表に残る窪みとして把握できる、北海道独特の遺跡景観の一部でもある[6]。
語源
チャシはアイヌ語で「砦」や「館」、「柵囲い」を意味する[1][7][8][3]。
知里真志保は「チャシとは山の上にあって割木の柵を巡らせた施設を指す語であるとされる」としているが、現役のチャシは存在しないため、正しくは「チャシの跡」という意味の「チャシコツ(チャシコッ / casikot)」というアイヌ語を使うべきであると指摘する研究者も存在する[9]。
種類別の呼び方
チャシの出現
チャシの用途
チャシの構造
チャシは基本的には高い場所に築かれ、壕や崖などで周囲と切り離された施設である。チャシへの登り口はチャシルと呼ばれる。チャシルは非常に傾斜がきついのが一般的で、梯子を使わなければ入れないようなチャシコツもある。1643年にオランダの商船カストリクム号が残した記録中のチャシは山の上に人間の身長の1.5倍ほどの柵を張り巡らしたもので、チャシルは急峻な小径となっており、柵の内部には2,3軒の住居が存在していた。
チャシの形状の分類法は幾つかあるが、最も広く用いられているのは1956年に河野広道が『網走市史』において用いた4分類である。
- 面崖式
- 崖地の上に半円形の壕を築き、その内部をチャシとするもの。チャシの構造の中で最も一般的なものである[1]。
以上の4分類の中では孤島式と丘頂式が古く、次いで丘先式が現れ、面崖式が最も新しい形式ではないかと見られている。
チャシの築造に必要とされた労働力は、およそ100人から125人/日と考えられており、一般的なコタンであればチャシの築造には一ヶ月ほど要したのではないかと推測されている。
研究状況
1976年に北海道教育委員会が行った調査では、341箇所のチャシ跡が確認されている。現在では500箇所以上のチャシ跡が見つかっている[1][2]。北海道(日高支庁)沙流郡の平取町にある二風谷遺跡のように大規模な発掘や調査が行われたチャシもある。
チャシには、北方ユーラシアのゴロディシチェやカムチャツカ半島のオストローフィとの構造における類似点がいくつか見出されている。ゴロディシチェはユーラシア北部に広く分布する砦の一種であり、同様のものがラテン語ではoppidum、ドイツ語ではburg、英語ではboroughやhillfortと呼ばれる。構造上チャシに最も近いのはブリテン島のヒルフォートであるが、これらユーラシア大陸の施設とチャシの関係は全く判っていない。
