チャールズ・モーダント (10代準男爵)
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サー・ジョン・モーダント(英語版)とその妻グスタヴァス・スミス(Gustavus Smith、1875年没)の息子に生まれた[2]。9歳のとき父が死去し、準男爵位を継承した[2]。イートン校に進み、さらにオックスフォード大学(クライストチャーチ・カレッジ)に入学した[2][3]。
1859年にサウス・ウォリックシャー選挙区(英語版)から庶民院議員に当選し、1868年まで同選挙区の議員を務めた[2][3]。ただ、議員時代は一度も発言しなかった[1]。
1866年、ハリエット・モンクリフ(英語版)(第7代準男爵サー・トマス・モンクリフ(英語版)の四女)と結婚した[2]。
1869年、その妻ハリエットが子供を身ごもったが、この子供はモーダントの子ではなかった[4][5]。錯乱したハリエット夫人はエドワード王太子(のちエドワード7世、モーダントの友人だった)やサー・フレデリック・ジョンストン、コール子爵ローリー・コール(英語版)とベッドを共にしたと告白し[4]、証拠の手紙まであると申し立てた[5]。これを聞いたモーダントは、妻の不貞を理由に離婚訴訟を起こした。モーダントは当初、エドワード王太子も訴訟上の共同被告(英語版)(つまり不倫相手)として訴えようとしたが、さすがに思いとどまって1870年1月の提訴の際は王太子を被告から外した[6]。裁判が進むと、手紙は不貞を裏付ける内容ではなく、ごくありきたりなものと判ったが、それでもエドワード王太子は証人として出廷する羽目になった。同年2月13日、エドワード王太子は7分にわたって証言台に立ち、夫人との姦通を否定した[5][6]。次期国王が離婚訴訟に巻き込まれるその姿は、世間から「大きな恥辱」とみなされたという[5][6]。
公判中、さらなるスキャンダルを恐れたハリエットの父が女王侍医サー・ウィリアム・ガルを頼み、ハリエットを心神喪失と診断させた。このため裁判は結審し、夫妻の離婚は成立しなかった(責任能力のないハリエットの自白には証拠能力がないため)[4]。
モーダントは1875年にコール子爵を相手取って再び訴訟を起こした。この裁判中、王室からの圧力を受けたコール子爵は、不貞の事実を争わない意向を示したことで訴訟は終結した[4]。結審後、1875年3月11日にモーダントとハリエット夫人の離婚が成立した[2]。
1878年にメアリー・チャムリー(Mary Cholmondeley、初代ディラミア男爵トマス・チャムリーの孫)と再婚した[2]。
1897年にロンドンで死去した[2]。
出典
- 1 2 “Sir Charles Mordaunt (Hansard)”. api.parliament.uk. 2025年6月7日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 Cokayne, George Edward, ed. (1902). The Complete Baronetage (1611–1625) (PDF) (英語). Vol. 1. Exeter: William Pollard & Co. p. 63.
- 1 2 Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (L to R) (英語). Vol. 3. Oxford: University of Oxford. p. 977.
- 1 2 3 4 “EXPERT COMMENT: A Very British Scandal: divorce courts have been shaming women since the 1800s” (英語). www.northumbria.ac.uk (2025年6月5日). 2025年6月7日閲覧。
- 1 2 3 4 ベイカー, ケネス 著、樋口幸子 訳『英国王室スキャンダル史』河出書房新社、1997年、196頁。ISBN 978-4309223193。
- 1 2 3 Matthew, H. C. G. (23 September 2004) [2004]. “Edward Ⅶ”. Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/32975. (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
| グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会 | ||
|---|---|---|
| 先代 イヴリン・シャーリー(英語版) エドワード・ボルトン・キング(英語版) |
庶民院議員 サウス・ウォリックシャー選挙区(英語版)選出 1859年 - 1868年 同職:イヴリン・シャーリー(英語版) 1865年まで ヘンリー・ワイズ(英語版)1865年から |
次代 ヘンリー・ワイズ(英語版) ジョン・ハーディ(英語版) |
| イングランドの準男爵 | ||
| 先代 サー・ ジョン・モーダント(英語版) |
(マッシンガム・パーヴァの) 準男爵 1845年–1897年 |
次代 サー・ オズバート・モーダント |