チャールズは、第2代ウォリック伯ロバート・リッチとフランシス・ハットンの次男である。若い頃は、ハンサムで魅力的、陽気で、無一文で知られていた。初代コーク伯リチャード・ボイルとその2番目の妻キャサリン・フェントンの娘、メアリー・ボイルと結婚した。チャールズはメアリーが麻疹にかかった際に看病を手伝ったことをきっかけに、メアリーと親密になった[1]。チャールズとメアリーは恋愛結婚であった。メアリーは、父の激しい不満にもかかわらず、父が取り決めたジェームズ・ハミルトン(後の初代クランブラシル伯)との結婚を拒否した。その理由は、メアリーが嫌悪感を抱いていたからであり、その代わりにチャールズを選んだ。すれ違いはあったものの、メアリーを心から愛していた父コーク伯は、最終的に結婚に同意し、多額の持参金も与えたが、二人は幸せではなかったようである。メアリーは日記の中で「激しく情熱的な口論」について触れている。メアリーは並外れて頑固で意志が強かった(恐るべき父に反抗したことからもわかるように)ため、どちらにも欠点があったとも考えられる。そして後年、狂信的なまでに敬虔な信者となった。しかし、慢性的な病に悩まされ、短気で横暴な性格になったチャールズにこそ、より大きな責任があると一般的に考えられていた。
公職においては、チャールズは1645年から1648年までサンドイッチ選挙区の代表として議会に出席した。また、エセックスの記録保管官でもあった。1658年に兄ロバートの後を継いでウォリック伯位を継承した。
チャールズは「20年間の痛風」の末、1673年に亡くなった。唯一の息子チャールズは1664年に先に亡くなっており、妻アン・キャヴェンディッシュとの間に子供もいなかったため、爵位は従兄弟である第2代ホランド伯ロバート・リッチに継承された。また、唯一の娘エリザベスは幼少期に亡くなった。夫妻は口論を繰り返していたにもかかわらず、チャールズは全財産を未亡人に生涯にわたって遺贈した。これは当時としては異例のことであった。妻メアリーは夫の死から5年後に亡くなった。