チョスバル

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チョスバルモンゴル語: Čosbal中国語: 搠思班、生没年不詳)は、モンゴル帝国の第5代皇帝クビライ・カアンの庶子の西平王アウルクチの孫で、モンゴル帝国の皇族。『元史』などの漢文史料では搠思班(shuòsībān)、『集史』などのペルシア語史料ではشاسگبه(shāsgba)と記される。

チョスバルはアウルクチの子でチベット方面の経略を委ねられたテムル・ブカの息子として生まれ、「鎮西武靖王」の地位を得て父の活動を継承した[1]

クルク・カアン(武宗カイシャン)、ブヤント・カアン(仁宗アユルバルワダ)、ゲゲーン・カアン(英宗シデバラ)の3人の皇帝の治世においてチベット方面の平定に尽力し、叛乱を起こした諸族を討伐したことが記録されている[2][3][4]

アウルクチ西平王家

脚注

参考文献

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