チョン・キョンファ
韓国のヴァイオリニスト
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出生・家族
楽歴
2歳を過ぎた頃から多くの歌を正確な音程とリズムで歌い、ラジオの生放送に出演して7曲を1か所も間違えずに歌った。4歳の時にピアノを習い始めた[12]。ピアノはヤマハ製だった[13]。しかしキョンファはピアノにはあまり興味を示さず[14]、姉のミョンファ(1944年生まれ、キョンファより4歳上[2])が小学生になってヴァイオリンを習い始めた時に、キョンファも一緒にヴァイオリンを習い始めた[15]。
ヴァイオリンのレッスンを2回受けただけで、小学校の入学式で子供達が歌う歌を弾けるようになり、ヴァイオリンを始めて8か月目でコンクールに出て、3年間習い続けた子供を抑えて入賞。小学校5年生で梨花女子高校のコンクールでメンデルスゾーンの曲を弾いて特賞を受け、「少年少女の夕べ」で、ソウル市交響楽団と協演した[15]。
1960年に、文化使節団の一員として訪日。伝手を辿って、日本の著名な音楽家や批評家の前で演奏する機会を得た。音楽評論家の牛山充は
- 「驚いた。朝鮮戦争でついこのあいだまで廃墟だった韓国と、こんなに美しい音楽をとても結びつけて考えることができない。技術的に優れた子供なら日本にもたくさんいるけど、こんなに感性の優れた音楽は初めてだ」[16]
と評した。牛山の評は、日本の音楽雑誌「音楽の友」に3ページにわたって掲載された[16]。
母と、既にアメリカ留学を果たしていた兄2人の尽力により、12歳でジュリアード音楽院へ留学[17]。イヴァン・ガラミアンに師事した[18]。
1967年レーヴェントリット国際コンクールへ出場し、同窓のピンカス・ズーカーマンと同時優勝となる[19]。
レーヴェントリット国際コンクールで優勝した際には、アメリカの各オーケストラから出演依頼が殺到した[20]。しかし、師のガラミアンの
- 「10代のうちにあまり有頂天になって舞台に出るのはよくない[20]」
というアドバイスに従って演奏活動をセーブ[20]。スイスに住んでいたヨーゼフ・シゲティに師事した[21]。
シゲティに師事していたキョンファは、ロンドン交響楽団の常任指揮者をしていたアンドレ・プレヴィンから、ロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールで1970年に開かれる慈善ガラ・コンサートへの出演の誘いを受けた。キョンファはこの演奏会でチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を弾き、慈善演奏会の評は載せないことが多いイギリスの新聞から
- 「ジネット・ヌヴー以来、こんな素晴らしいヴァイオリニストを聴いたことがない」[22]
- 「満員のお客のしつこい拍手喝采以上の価値が本当にあったのだ。果たしてハイフェッツがこれよりも巧く奏いたかどうか、疑問に思う」[22]
といった賛辞を受ける。その後、英デッカ・レコードと録音契約を結び、年に100回以上の演奏会を行うトップ・ヴァイオリニストとなった[23]。
英デッカに多くの録音を行った後に、1988年に英EMIに移籍して[注釈 1][1]現在に至る。
私生活では、マルタ・アルゲリッチとシャルル・デュトワが婚姻関係にあった時期に、デュトワと不倫関係にあった。[24]1984年にイギリス人の実業家と結婚。2人の息子の出産を機に一時的に活動を休止する[25]。2005年より指のケガにより長期療養したのち、2010年に復帰した[26][27]。2011年湖巌賞芸術部門受賞[28]。
注釈
参考文献
- 李元淑『世界がおまえたちの舞台だ』藤本敏和 訳、中央公論社、1994年。ISBN 4-12-002322-2。