チーズトースト狂の夢

From Wikipedia, the free encyclopedia

連載開始1904年9月10日 (1904-09-10)
最終回c.1925
別名
  • The Dream of a Lobster Fiend
  • Midsummer Day Dreams
  • It Was Only a Dream
  • Rarebit Reveries
チーズトースト狂の夢
Dream of the Rarebit Fiend
1905年1月28日回
作者ウィンザー・マッケイ
連載開始1904年9月10日 (1904-09-10)
最終回c.1925
別名
  • The Dream of a Lobster Fiend
  • Midsummer Day Dreams
  • It Was Only a Dream
  • Rarebit Reveries
出版者ニューヨーク・ヘラルド
前作Little Sammy Sneeze
次作リトル・ニモ

チーズトースト狂の夢[1](チーズトーストきょうのゆめ、: Dream of the Rarebit Fiend、『チーズトーストの悪夢』ともいう)とは、米国の漫画家ウィンザー・マッケイによる新聞漫画作品。ニューヨーク・ヘラルドの夕刊紙イブニング・テレグラムで1904年9月10日から連載された。マッケイがヘラルド紙の契約漫画家としての地位を確立した前作 Little Sammy Sneeze(→くしゃみのリトル・サミー) に続いて、マッケイにとって2作目のヒットとなった。契約上の理由により「サイラス」という筆名が用いられた。

一話完結型で固定した登場人物も存在しないが、テーマはどの回も同じである。各回の主人公は寝る前に食べたウェルシュ・レアビット(チーズトーストの一種。原題の直訳は「レアビット狂の夢」)の影響で悪夢にうなされるが、最終コマで目を覚まして食べ過ぎを反省する。夢には登場人物の赤裸々な心理(恐怖症偽善性、気がかり、隠れた欲望)が表されることが多い。マッケイの代表作となった子供向け作品『リトル・ニモ』(1905-) が生き生きとした空想的な夢を描いているのとは対照的に、本作は大人を対象として描かれている。

『チーズトースト狂の夢』と『リトル・ニモ』の人気を受けて、1911年にマッケイは ウィリアム・ランドルフ・ハースト傘下の系列紙と破格の給金で契約した。ハーストの編集者はマッケイの高度な技術による漫画が「滑稽というよりシリアス」だと考え、2作のようなコミック・ストリップを描かせず時事風刺漫画に方向転換させた。マッケイは後の1923–1925年に Rarebit Reveries(→チーズトーストの白日夢)というタイトルでシリーズを再開したが、それらの作品はほとんど現存しない。

『チーズトースト狂の夢』は何度か映画化されている。1906年にはエドウィン・S・ポーターの監督で同題の実写映画英語版が公開された。マッケイ自身もアニメーション映画の勃興期に4編を制作している。1912年の『モスキート』、1921年の『虫のサーカス』、『ペット』、『フライング・ハウス』である。

本作にはまた後世のポップカルチャーで定番となったアイディアの原型が数多く見られるとされる。『キング・コング』や『ゴジラ』で一般化された、巨大生物が襲来して都市を破壊するアイディアはその一つである。

ウェルシュ・レアビット。味付けしたチーズをパンに乗せてトーストしたもの。

ウィンザー・マッケイは1904年に最初の『チーズトースト狂の夢』作品を描いた。同じく夢を題材にした作品『リトル・ニモ』をマッケイが描き始めるのはその1年後で、シュルレアリスム運動の芸術家が同様に無意識を解放するのはさらに1世代先のことになる[2]

『チーズトースト狂の夢』には複数回にわたって登場する人物は存在しないが、テーマは毎回共通している。各回の主人公がウェルシュ・レアビットを食べた直後に眠りにつき、自身の心理の暗い部分に襲われるというものである[2]。典型的な回では、まず不条理な状況が提示され、それがエスカレートしていった末に、最後のコマで主人公が目を覚ます。象が天井から降ってくるとか、二人の女性が着ていたミンクのコートが互いに喧嘩を始めるというような他愛無い夢もあるが、ときにはもっと恐ろしく[3]、登場人物が八つ裂きにされたり、一人称視点の生き埋めが描かれたり[4]、子どもの母親が地面に埋められて木に変わったりする作品がある[3]。自分ではなく、身近な誰かに降りかかる出来事を観察する夢もある[5]。例外もあるが、ほとんどの主人公は米国で増えつつあった都市部の中産階級に属している。マッケイはそれらの人物を、衆人環視の中で恥をかくことや、社会的尊厳や体面を失うことへの恐れ、さらには、存在すること自体のどうにもならない不可解さへの恐怖に直面させた[6]

『チーズトースト狂の夢』はマッケイのコミック・ストリップ作品で唯一社会的・政治的な題材や同時代の暮らしを扱っている。本作では宗教指導者やアルコール依存症、ホームレス、政治的演説、自殺、ファッションなどが描かれるが、他の作品は純粋なファンタジーか、どの時代にも当てはまるように背景がぼかされている[7]。本作にはまたセオドア・ルーズベルトが選出された1904年の大統領選、ニューヨークで落成したばかりのフラットアイアン・ビルディング (1902) やセントレジスホテル英語版 (1904)、日露戦争 (1904–05) のような当時の出来事が登場する[8]

「ウェルシュ・レアビット」とはこってりしたチーズをエールでのばしてカイエンペッパーやマスタードを混ぜ、パンに乗せてトーストした料理である[9]。それ自体に特に有害な作用はない。批評家は悪夢を引き起こすウェルシュ・レアビットを大麻のような向精神薬のメタファーとして論じることもある[10]。英国にはチーズ(特に焼いて溶かしたチーズ)を食べると悪夢を見るという俗信が存在する[11]

マッケイのキャラクターであるリトル・ニモは本作で最初に登場した。

マッケイの代表的なキャラクターであるリトル・ニモは本作の1904年12月10日回で初めて登場した[12]。翌年にマッケイはニューヨーク・ヘラルド紙でニモが主人公の連載を始めた[13]。『リトル・ニモ』と比較すると本作の作画は背景がミニマルで[14]、人物の位置を固定した静的な構図がほとんどである[15]。美しいビジュアル中心のリトル・ニモ』と比べると本作はストーリーに重点が置かれている[16]。『リトル・ニモ』が連続した物語であるのに対し、本作は一話完結型である[14]。『リトル・ニモ』の夢が子ども向けである一方、「チーズトースト狂の夢」は、社会的な恥、死や発狂への恐れなど大人の題材が扱われている。願望充足的なファンタジーはどちらの作品にも登場する[17]

当時のコミック・ストリップとしては珍しく、本作はストレートなユーモアや現実逃避ではなく、読者の暗い部分(偽善性、欺瞞、恐怖症、不安)を暴き出している。鋭い社会批判も多く、結婚、財産、宗教のような題材が批判的に描かれる[2]。形式の実験を好んでいたマッケイは、本作の多くの回で自己言及的な遊びを取り入れており[18]、作中人物に作者のサイラス(筆名)や読者に言及させている[19]。このような自己言及性は『チーズトースト狂の夢』においてのみ多用され、マッケイのほかの作品には見られない[20]

画風は当時のコミック・ストリップの中では写実的で、人物の頭身は現実的な比率である。固有の名前や外見を持つキャラクターは登場しないが、社会的背景や体型、年齢は的確に描き分けられている[21]。コマ間のつながりにはアニメーション的な表現が見られる[22]。流麗な作画と比して、吹き出しの中のレタリングはマッケイの他作品と同じく拙く、特にページサイズが初出時より縮小された再録ではほとんど読めないことがある[23][24]。マッケイは吹き出しの見栄えや内容、構図上の配置にほとんど気を配っていなかったと見られる。セリフでは困惑した登場人物による繰り返しの多いモノローグが目立ち、それをもってマッケイの才能はあくまで絵にあって言葉にはないとする評者もいる[25]

背景

ウィンザー・マッケイの結婚生活は不安定なもので、本作にもその影響がうかがえる。

マッケイは1890年代から漫画を描き始めた。雑誌や新聞に数多く寄稿すると、すぐに速筆で知られるようになった。速筆はヴォードヴィルチョークトーク英語版(絵を描きながらの漫談芸[26]。マッケイはハリー・フーディーニW・C・フィールズ英語版らと同じ舞台に立っていた)に出演するときにも生かされた。マッケイは初期から夢の題材に関心を見せていた[2]。本作以前に描かれた10作ほどの中には[27]Daydreams(→白日夢)It Was Only a Dream(→ただの夢だった)といったタイトルがある[2]。夢をテーマにしたコミックストリップはマッケイが初というわけではなく、同じニューヨークヘラルド紙にチャールズ・リースの Drowsy Dick(→ねぼすけディック)(1902) など少なくとも3作が連載されている[28]精神分析夢分析は1900年に刊行されたフロイトの『夢判断』によってすでに一般の認知を得ていた[27]

マッケイはあるとき、愛煙家がいつの間にか北極にいて、タバコと火を見つけようとする作品を提案した。最後のコマで主人公は目を覚まし、夢を見ていたことに気づく。ヘラルド紙はマッケイにその作品をシリーズ化するよう依頼し、タバコの代わりにウェルシュ・レアビットを使うよう求めた。マッケイはそれに従った[29]。掲載紙はヘラルド系列のイブニング・テレグラムだった。ヘラルド編集者は他の作品と区別するためこの連載ではペンネームを使うよう要求した。マッケイは近所のゴミ収集員から名を借り、『チーズトースト狂の夢』のサインは「サイラス (Silas)」とした[29]。1911年にウィリアム・ランドルフ・ハーストニューヨーク・アメリカン紙に移籍すると、「サイラス」は止めて自身の名でサインし始めた[30]

マッケイは1891年に妻を迎えたが[2]、結婚生活は幸福なものではなかった。伝記作家ケインメーカーによると、マッケイは『チーズトースト狂の夢』で結婚を偽善、嫉妬、誤解の地雷原として描いた[2]。マッケイは150 cmそこそこの小柄な男性であり[31]、同じ背格好の妻に主導権を握られていた。『チーズトースト狂の夢』には、体格に勝る妻に牛耳られる小柄で内気な男性というイメージが何度も登場する[32]。急速に大きくなる物体に圧倒されるという巨大化のモチーフも繰り返し使われており、マッケイ自身が持っていた矮小感の補償英語版の可能性がある[33]。また本作に頻出する狂気のテーマは、精神病院に収容されていたマッケイの弟アーサーから発想された可能性がある[34]

Two panels of a comic strip of a man being buried alive
埋葬される男性の視点で描かれた作品(1905年2月25日)。ようやく願いがかなったわ。ふさわしい場所に送られたはずね。この人良く燃えそう 奥さん、クフ王より大きいピラミッドを積むといいですよ。墓から出てこないように

寒々とした世界観の作品であるにもかかわらず人気は高く、1911年にマッケイはランドルフ・ハーストによって高給で引き抜かれることになった。ハースト社の編集者アーサー・ブリスベイン英語版はマッケイ作品が「滑稽というよりシリアス」だと考え、『チーズトースト狂の夢』や『リトル・ニモ』のようなコミック・ストリップの連載を止めさせて論説記事のイラストレーションに専念させた[2]

影響

Drawing of Alice floating in a pool of tears
不思議の国のアリス』は本作のアイディアのいくつかを先取りしており、影響があったと考えられる。

クロード・モリテルニフランス語版、ウルリッヒ・メルクル、アルフレード・カステッリ英語版などの研究家は本作の影響元を推測している。エドワード・リアの人気作『ナンセンスの絵本』(1870)[35]ジェレット・バージェス英語版The Burgess Nonsense Book (1901)、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』(1865)(特に涙で池ができる場面は、汗が洪水になる連載初期の回と関連があると考えられる[8])、その他マッケイが読んだと考えられる雑誌に掲載された夢を題材とする漫画やイラストレーションが挙げられている[5]

もっとも確からしい影響は、ハール・オレン・カミンズによる Welsh Rarebit Tales (1902) である。15編のSF短編を集めた書籍で、カミンズはウェルシュ・レアビットとロブスターを食べたせいで見た悪夢からアイディアを得たと述べている。ヘラルドから移籍後の1911年から翌年にかけてマッケイが描いた作品には Dream of a Lobster Fiend(→ロブスター狂の夢)というタイトルが付けられていたものもある[36]

その他の影響として定評があるものに、H・G・ウェルズライマン・フランク・ボームの『オズの魔法使い』(1900)、ジェイムズ・マシュー・バリーの『ピーター・パン』(1904)、カルロ・コッローディの『ピノキオの冒険』(1883)、アーサー・コナン・ドイルシャーロック・ホームズ作品「技師の親指」(1889)、ヘンリク・シェンキェヴィチの『クォ・ヴァディス』(1896)、ロバート・ルイス・スティーヴンソンの『ジキル博士とハイド氏』(1886)、マーク・トウェインの「100万ポンド紙幣」(1893) がある[37]

1900年に『夢判断』を刊行したジークムント・フロイトからの影響をマッケイは認めなかった。マッケイ研究者ウルリッヒ・メルクルは、フロイトはオーストリア人であったがその理論はニューヨークの新聞界でも大きな話題になっていたため、マッケイも知っていたはずだと述べている[38]

刊行史

巨人となった男性がニューヨーク市街を破壊する(1905年1月7日)。どれ退屈しのぎだ。こいつは何かな。ちょっと揺さぶっても中の奴らは平気だろう/こりゃ何だ? ほほう、地下鉄か。何両か引っこ抜いて記念に持って行こう。それからブロードウェーに繰り出すとするか

『チーズトースト狂の夢』はマッケイのもっとも長い連載となった。知名度では『リトル・ニモ』に劣っているが、話数では300話以上上回っている[39]。第1回は1904年9月10日にニューヨーク・ヘラルド紙に掲載された。同紙で Little Sammy Sneeze英語版(→くしゃみのリトル・サミー)を最初に描いてから2か月ほど後のことだった[40]。マッケイにとって、『リトル・サミー』でヘラルド紙に常勤の漫画家として雇用されたのに続く第2の成功作だった。『チーズトースト狂の夢』は当時ヘラルドによって出版されていたイブニング・テレグラム紙に連載された[14]

掲載頻度は週に2-3話で、平日には紙面サイズの1/4を、土曜日では1/2を占めるのが一般的だった[39]。基本的に白黒だが、1913年の1年間にわたってヘラルド紙に週刊連載された29話はカラーだった[41]。それらは1908年から1911年にかけて描かれたが、イブニング・テレグラム紙では使われなかった作品だった[39]。マッケイはヘラルド気付「サイラス・ザ・ドリーマー」宛で夢のアイディアを送るよう読者に呼び掛けることがあった[42]。アイディアを用いた場合、マッケイは作品に自身のサインと並べて投稿者の名前と謝辞を書き込んだ。謝辞を捧げられた中にはSF小説のパイオニアであるヒューゴー・ガーンズバックがいる[43]

本作の第1期連載は1911年に終了した。同年から1993年にかけては、複数の新聞にMidsummer Day DreamsIt Was Only a Dream などとタイトルを変えて掲載された[44][45]。1923年から1925年にかけて[46]、マッケイは本作を Rarebit Reveries のタイトルで復活させた。署名は「ロバート・ウィンザー・マッケイJr.」(マッケイの息子)となっているが、レタリングが不確定なのを除けばマッケイの真筆と見られている。マッケイはアニメーションや風刺漫画にも息子の名前で署名したことがある。2007年時点で現存している Rarebit Reveries 作品は7作のみだが、それ以外にも発表された作品があることはほぼ確定している[47]

単行本

最初の単行本化 Dreams of the Rarebit Fiend (1905)

1905年にフレデリック・A・ストークス英語版社から Dreams of the Rarebit Fiend のタイトルで最初の単行本が刊行された。61篇の作品が収録されていた。同書は1973年にドーヴァー・パブリケーションズから再版され、新しい序文が付されるとともに画面が10%拡大された。初期版所収の最終作にはエスニックジョークが含まれており、1970年代の読者には好まれないと判断されてドーヴァー版からは除かれた[48]

夢テーマのマッケイ作品を集めた選集 Daydreams and Nightmares(1988年・2006年、リック・マーシャル英語版編、ファンタグラフィックス・ブックス刊)には本作から数点が収録された[49]。チェッカー・ブックスは8巻にわたるマッケイの初期作品集に本作を多数収録しているほか[35]、2006年には新聞の土曜日版が初出のカラー作品183点を Dream of the Rarebit Fiend: The Saturdays として刊行した[50]。同社の再録は、現在確認されている『チーズトースト狂の夢』全作品のうち300点を除いたすべてにのぼる[35]

2007年7月、ドイツの美術史家ウルリッヒ・メルクルは17インチ×12インチサイズ、464ページの書籍 Dream of the Rarebit Fiend を自己出版し、原寸大の作品369本を収録した[35]。それまでの再録本は作品をオリジナルの1/3程度に縮小していたため、細部が判別しづらく、文字も読みにくかった。メルクルの本は機械製本が不可能な判型だったため手作業で綴じられた。1000部限定の発行で、付録のDVDには現在確認されている821点すべてのスキャン画像のほか[24]、書籍本文全文[41]解題付き総目録[51]、ならびにマッケイのアニメーション作品の一つが収録された[52]。底本はメルクル個人の所蔵資料のほか、オハイオ州立大学カートゥーン・リサーチ・ライブラリー英語版所蔵の作品、ならびに、ニューヨーク公共図書館から購入した連載期間全体にわたるマイクロフィルム版ニューヨーク・イブニング・ジャーナル紙からなる[35]。メルクルは修復とスキャンに1作品当たりおよそ6時間を要したと述べている[24]。同書にはイタリアの漫画編集者アルフレード・カステッリによるエッセイ2編と[53]国際夢研究協会英語版の元会長であるジェレミー・テイラー英語版[41]によるエッセイ1編が収録されている[51]

メディア展開

当時のマッケイ作品の人気は高く、マッケイ自身やほかの製作者によって映画化が行われた。ブロードウェー公演のオプション契約が結ばれたこともある[2]Dream of the Welsh Rarebit Fiend と題され、「コミック・オペラ、もしくは音楽の狂想劇」と形容されたミュージカル作品は上演に至らなかったが、マックス・ハーシュフェルドの作曲、フォージ・ヘンリー・ペインとロバート・ギルバート・ウェルシュの作詞が予定されていた[54]

映画

『チーズトースト狂の夢』(Dream of a Rarebit Fiend, 1906)

エドウィン・S・ポーターの実写版『チーズトースト狂の夢』(1906)

映画制作のパイオニアであるエドウィン・S・ポーターは、エジソン社英語版のために7分間の実写映画版『チーズトースト狂の夢英語版[1] (The Dream of a Rarebit Fiend) を製作した。ジョン・P・ブローンが演じるチーズトースト狂は寝ている間に小悪魔の一団に襲われる。そのうちベッドが空を飛び始め、主人公は尖塔の突端に引っ掛けられる。この展開は連載初期の1905年1月28日回に似ている[55][54]

マッケイによるアニメーション作品

マッケイは自身の『チーズトースト狂の夢』シリーズを原作とした手描きアニメーション映画を4作制作している。初期の『モスキート』はマッケイのヴォードヴィル演目に取り入れられていた[56]

モスキート (How a Mosquito Operates, 1912)
『モスキート』

1911年12月に完成し[57]、翌年に公開された[58]マッケイのアニメーション作品第2作『モスキート英語版[1] (How a Mosquito Operates[59], The Story of a Mosquito[60]) は線画のアニメーション作品として最初期の一つである。シルクハットをかぶった巨大な蚊が窓から侵入し、ベッドで寝ている男に抵抗されながら血を吸うが、吸い過ぎて破裂してしまうというストーリーである[59]。蚊は単に風船のように膨張するのではなく、体の構造に沿った自然な膨らみ方をする[61]。アイディアは『チーズトースト狂の夢』1909年6月5日回から取られている[62]。マッケイの伝記を書いたジョン・ケインメーカーは蚊にキャラクター性と人格を吹き込んだマッケイの手腕を評価している[63]

虫のサーカス (Bug Vaudeville, 1921)
『虫のサーカス』

この映画ではシリーズ名が複数形の「Dreams of ...」とされている。『虫のサーカス』[1] (Bug Vaudeville) は幻想的な作品で、細密に描かれた木立の中で浮浪者が座り込みながら、チーズケーキを食べたせいで眠くなったとつぶやく。リアルに細かく描かれた舞台を背景に虫たちのヴォードヴィルが始まる。一連の演目の最後にクモが登場し、シルエットで表現されていた観客の一人を捕らえて食べてしまう[64]

この映画は1921年9月12日前後に公開された[65]。サーカスやヴォードヴィルでのマッケイの経験が元になっている[66]。ヴォードヴィルの公演として構成されているが、マッケイの過去作品『恐竜ガーティ』(Gertie the Dinosaur, 1914) と異なり観客との掛け合いは行われない[65]。映画評論家アンドリュー・サリスはマッケイの映画作品の中でもっとも愛好していると述べ、「線描による表現豊かな作画、直感的に分かりやすい演技のリズム」を理由に挙げた。また、フェデリコ・フェリーニのような監督でさえ「ヴォードヴィル公演の儀式性に対するマッケイの深い洞察を持てることを光栄に思うだろう」とした[67]

ペット (The Pet, 1921)
『ペット』はおそらく最初の「巨大生物が町を襲う」映画である。

この映画でも「Dreams」は複数形である。『ペット』[1] (The Pet) では、ある夫婦が拾った謎の動物が底なしの食欲を発揮し始め、与えられたミルクを飲み干したのを手始めに、夫婦の飼い猫、家具、殺鼠剤の樽、行き合った自動車、飛行機、飛行船などあらゆるものを飲み込みながら際限なく成長していく[68]。高層ビル街を闊歩する動物に向けて、航空機と大型飛行船の部隊が集まって爆撃を行う[67]

『ペット』は1921年9月19日前後に公開された[68]。元になったのは『チーズトースト狂の夢』1905年3月8日回である[35]。マッケイの伝記を書いたジョン・ケインメーカーによると、不穏な内容の本作は、マッケイが完全な創作上の主導権を有していた最後の映画作品である[67]。漫画家スティーヴン・R・ビセット英語版は本作を「史上初の「巨大怪獣が街を襲う」映画」としている[27]

フライング・ハウス (The Flying House, 1921)
『フライング・ハウス』

『フライング・ハウス』[1] (The Flying House) は1910年代から1920年代の米国で急速に進んだ都市化を背景にしている。寝る前にウェルシュ・レアビットを食べた主人公女性が夫を探して屋根裏部屋に赴くと、そこには巨大なエンジンが据え付けられている。夫は女性に、家賃滞納で立ち退かされそうなので家を盗んで逃げようという。窓の外に突き出たシャフトにプロペラが取り付けられ、家は整然と区画された街並みから飛びあがる。安住の地を求めて沼地や海を巡った末に月にたどり着くが、月の男英語版によってハエ叩きで追い回される。家がロケットと衝突し、空中に投げ出されたことで女性は夢から覚める。宇宙に向かうシーンの直前には、「これから始まる驚くべきアニメーション」への注目を促す自己言及的な字幕が掲げられる[69]

本作は1921年9月26日に公開された。オープニングタイトルで表示される題名は単数形の「Dream」に戻り、ウィンザー・"サイラス"・マッケイがプロデューサーとしてクレジットされている[65]。制作者としてはマッケイの息子ロバート英語版がクレジットされているが、ケインメーカーはマッケイ自身が制作に関わっていなかったとは考えにくいと書いている。1921年に『ニューヨーク・タイムズ』に掲載されたレビューは「優れた技量と幻想性に引き付けられる」とする一方で、期待ほどには「ユーモアが鋭くない」としている。映画評論家リチャード・エーダー英語版は本作について、写実描写による悪夢らしさと、後の米国アニメの特徴となる無垢さの対比に言及している[67]。2011年、アニメーターのビル・プリンプトンKickstarterで制作費を調達して本作を修復した。映像はカラー化され、俳優のマシュー・モディーンパトリシア・クラークソンが声を当てた[70]

音楽

『チーズトースト狂の夢』テーマ曲

1907年、"Dream of the Rarebit Fiend" と題する楽曲が蝋管レコードで録音された (Edison 9585)。演奏はエジソン・ミリタリー・バンド[48]、作曲はトーマス・W・サーバンによる。おそらく1906年のポーターによる映画に触発され、上映伴奏のために作られた曲だと考えられている。18〜20人編成の楽団向けに書かれており、その後も数多く録音された[71]

トーマス・W・サーバンによる "Dream of the Rarebit Fiend" (1907) の主旋律[48]

後世への影響

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI