ツトム・ヤマシタ
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その他
5歳よりピアノを始め、8歳より打楽器を始める。学生時代より地元の京都市交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団等に参加した後、1964年、17歳で渡米し、ニューヨークのジュリアード音楽院で学ぶ。1967年にボストンのバークリー音楽院に入学。シカゴ室内管弦楽団との共演などを通じてキャリアを積んでいく。小澤征爾指揮、ニューヨーク・フィルの演奏会で武満徹作曲の打楽器協奏曲「カシオペア」のソリストなどを務める。
1970年に渡欧し前衛音楽家として活動を始める。1971年、イギリスにて実験芸術集団レッド・ブッダ・シアターを主宰[3]。アルバム『《人》-ツトム・ヤマシタ 打楽器リサイタル・ライヴ』を発表。その後は映画音楽やバレエ音楽も手がける。1973年にはプロデューサー、作曲両部門でグラミー賞にノミネートされる[3]。
1976年にアルバム『ゴー』、フランスでのライブを記録した『ゴー・ライヴ』、1977年に『ゴー・トゥー』を発表。この一連のプロジェクトにはクラウス・シュルツェ、アル・ディ・メオラ、スティーヴ・ウィンウッド等が参加した。
帰国後、舞台創作などマルチ・アーティストとして活動を展開する[3]。近年ではサヌカイトによる打楽器を創作し、2005年からサヌカイトを用いた宗教的なアプローチも行っている[4][5]。2013年京都市文化功労者。京都市立京都堀川音楽高等学校芸術顧問。
父は、戦後全国的に先駆け上京中学校に吹奏楽部を創設した山下清孟。清孟はその後洛南高校吹奏楽部を全国的な吹奏楽部に育て、日本高等学校吹奏楽連盟 高校吹奏楽殿堂 第1回顕彰者となった。姉はレッド・ブッダシアターの主演女優を務めた小牧璋子で「私の蜃気楼よ、消えることなく―レッド・ブッダ・シアターと共に」(筑摩書房、1986年3月)の著書がある。