テオドール・ヴァレリオ
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フランス北東部ムルト=エ=モゼル県のエルスランジュ(Herserange)で生まれた[2]。パリでニコラ=トゥサン・シャルレ(1792-1845)に学んだ。シャルレは主に18世紀初めの戦争に関わる作品を制作した画家、版画家である。
ヴァレリオは19歳であった1838年に初めてパリのサロンに出展が受理された。ドイツやイタリア、スイスを旅し、1851年と1852年のはバルカン半島の国々やハンガリーにしばらく滞在した。1853年から1855年の間のクリミア戦争の間はフランスと連合した、オスマントルコの軍の後を追従した。訪れた国の人々の民族衣装や習慣に関する多くのスケッチを制作して帰った。
フランスに戻ると、1855年のパリ万国博覧会に作品を出展し、1859年のパリのサロンで銅メダルを受賞した。
晩年はブルターニュに住みしばしばイギリスを旅した。1879年にフランス中部アリエ県のヴィシーで亡くなった。没後忘れられた画家となっていたが1980年ころ再発見された。作品はアメリカのウォルターズ美術館[3]やナショナル・ギャラリー (ワシントン)[4]、メトロポリタン美術館[5]などに収蔵されている。