テリー・ヨラス
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1988年 | ||||||
| 名前 | ||||||
| 本名 |
テレンス・チャールズ・ヨラス Terence Charles Yorath | |||||
| ラテン文字 | Terry Yorath | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1950年3月27日 | |||||
| 出身地 | カーディフ | |||||
| 没年月日 | 2026年1月8日(75歳没) | |||||
| 身長 | 183cm | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | MF | |||||
| ユース | ||||||
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| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1967-1976 |
| 141 | (10) | |||
| 1976-1979 |
| 99 | (3) | |||
| 1979-1981 |
| 46 | (1) | |||
| 1981-1982 |
| 29 | (2) | |||
| 1982-1985 |
| 27 | (0) | |||
| 1986 |
| 1 | (0) | |||
| 代表歴2 | ||||||
| 1969-1981 |
| 59 | (2) | |||
| 監督歴 | ||||||
| 1986-1989 |
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| 1988-1993 |
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| 1989-1990 |
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| 1990-1991 |
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| 1994-1995 |
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| 1995-1997 |
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| 2001-2002 |
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| 2008-2009 |
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1. 国内リーグ戦に限る。2022年3月19日現在。 2. 2022年3月19日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
テレンス・チャールズ・"テリー"・ヨラス(Terence Charles "Terry" Yorath, 1950年3月27日 - 2026年1月8日)は、ウェールズ・カーディフ出身の元サッカー選手。サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。
リーズ・ユナイテッドFCのユース出身。1967年にプロ契約を結ぶ。1972-73シーズンからトップチームに定着。ドン・レヴィー監督の下で、チームのFAカップ、UEFAカップウィナーズカップ決勝進出に貢献。しかしいずれも準優勝に終わった。翌1973-74シーズンにはリーグ優勝に貢献。その翌1974-75シーズンにはUEFAチャンピオンズカップ決勝進出に貢献。同カップの決勝に初めて出場したウェールズ人選手となった。試合はFCバイエルン・ミュンヘンに2-0で敗れ、欧州の頂点には立てなかった。
1976年にコヴェントリー・シティFCに移籍。移籍金は12万5千ポンド。コヴェントリーではキャプテンを務め、1977-78シーズンにはチームの7位進出に貢献した。
1979年にトッテナム・ホットスパーFCに移籍。リーグ戦46試合に出場した。
ウェールズ代表には59試合に出場。うち42試合でキャプテンを務めた。
1982年にブラッドフォード・シティAFCに選手兼任アシスタントコーチとして加入。1985年にブラッドフォード・サッカー場火災で被災を経験した。1986年より選手兼任監督に就任したスウォンジー・シティAFCでは選手引退後の1987-88シーズンにチームを4部から3部へと昇格させた。
1989年からはウェールズ代表監督に就任。その傍らスウォンジー、ブラッドフォードの監督も兼任で務めた。1991年、代表監督に専念するためにスウォンジーの監督を辞任した。1993年8月にウェールズ代表はFIFAランキングで27位となり、当時の代表の最高位を更新した。
1994年にカーディフ・シティFCのGMに就任したのち、監督のエディ・メイ解任に伴い、監督に就任した。が成績は上向かず、1995年3月に解任された。
1995年から1997年までレバノン代表を指揮。その後、ハダースフィールド・タウンFCとブラッドフォード・シティでコーチを務めたのち、シェフィールド・ウェンズデイFCでアシスタントコーチに就任。監督のポール・ジュエル解任後は監督に就任した。