デイヴィッド・カーネギー (1813年生の実業家)

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デイヴィッド・カーネギーの肖像画。オットー・ベーレンス(Otto Behrens)画、1877年。

デイヴィッド・カーネギー英語: David Carnegie the Youngerスウェーデン語: David Carnegie den yngre1813年5月3日1890年2月15日)は、スウェーデンの実業家。1830年にヨーテボリに渡って伯父デイヴィッドの貿易会社D・カーネギー社で働き、1836年に共同経営者として認められた[1]ヨーテボリ大学に多額の寄付を行い、1859年にヨーテボリ王立芸術科学協会英語版会員に選出された[1]

D・カーネギー社のシュガーローフのラベル、1900年ごろ。

ジェームズ・カーネギー(James Carnegie、1773年1月8日 – ?、ジョージ・カーネギーの息子)と妻マーガレット(Margaret、旧姓ガレスピー(Gillespie)、ジョン・ガレスピーの娘)の息子として、1813年5月3日にロンドン近郊で生まれた[2][1]。1830年にヨーテボリに渡り[3]、伯父デイヴィッドの貿易会社D・カーネギー社(D. Carnegie & co.、現カーネギー投資銀行英語版)で商人としての教育を受けた[1]。1835年にはわずか22歳でヨーテボリで商業活動を行うための市民権スウェーデン語版を取得した[1]。1836年に伯父により共同経営者として正式に迎え入れられた[4]

カーネギーはD・カーネギー社の経営者としてアブラハム・ロベルト・ロレントスウェーデン語版が1810年から1813年にかけてヨーテボリ近郊のクリッパンスウェーデン語版で設立した砂糖工場などを購入し、やがてD・カーネギー社の単独経営者になった[1]

1845年に伯父の娘と結婚した後、スコットランドに帰国し、会社については最大株主の地位を維持したものの経営はオスカル・エックマンスウェーデン語版に任せた[1]

1849年にストロンヴァー(Stronvar)の、1857年にイーストベリーの地所を購入した[3]

ヨーテボリ大学に150万から200万スウェーデン・クローナという多額の寄付を行い、1859年にヨーテボリ王立芸術科学協会英語版会員に選出された[1]

1877年、ハートフォードシャー州長官英語版を務めた[3]

1890年2月15日にストロンヴァーで死去した[1]

家族

注釈

出典

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