デイヴィッド・カーネギー (1813年生の実業家)
From Wikipedia, the free encyclopedia

ジェームズ・カーネギー(James Carnegie、1773年1月8日 – ?、ジョージ・カーネギーの息子)と妻マーガレット(Margaret、旧姓ガレスピー(Gillespie)、ジョン・ガレスピーの娘)の息子として、1813年5月3日にロンドン近郊で生まれた[2][1]。1830年にヨーテボリに渡り[3]、伯父デイヴィッドの貿易会社D・カーネギー社(D. Carnegie & co.、現カーネギー投資銀行)で商人としての教育を受けた[1]。1835年にはわずか22歳でヨーテボリで商業活動を行うための市民権を取得した[1]。1836年に伯父により共同経営者として正式に迎え入れられた[4]。
カーネギーはD・カーネギー社の経営者としてアブラハム・ロベルト・ロレントが1810年から1813年にかけてヨーテボリ近郊のクリッパンで設立した砂糖工場などを購入し、やがてD・カーネギー社の単独経営者になった[1]。
1845年に伯父の娘と結婚した後、スコットランドに帰国し、会社については最大株主の地位を維持したものの経営はオスカル・エックマンに任せた[1]。
1849年にストロンヴァー(Stronvar)の、1857年にイーストベリーの地所を購入した[3]。
ヨーテボリ大学に150万から200万スウェーデン・クローナという多額の寄付を行い、1859年にヨーテボリ王立芸術科学協会会員に選出された[1]。
1877年、ハートフォードシャー州長官を務めた[3]。
1890年2月15日にストロンヴァーで死去した[1]。
