デニー・レイン
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| デニー・レイン Denny Laine | |
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1976年、ウイングスのライブにて | |
| 基本情報 | |
| 出生名 | Brian Frederick Arthur Hines |
| 別名 | Denny Laine |
| 生誕 | 1944年10月29日 |
| 出身地 |
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| 死没 |
2023年12月5日(79歳没) |
| ジャンル | ロック、ブルース・ロック、R&B、ポップス |
| 職業 | ミュージシャン |
| 担当楽器 | ギター、ボーカル、ベースギター、ピアノ、キーボード、ハーモニカ、フルート |
| 活動期間 | 1957年 - 2023年 |
| レーベル | デッカ、ウィザード、リプライズ、EMI、アリスタほか |
| 共同作業者 | ポール・マッカートニー、ウイングス、ムーディー・ブルース、ジンジャー・ベイカーほか |
| 公式サイト | www.dennylaine.com |
デニー・レイン (Denny Laine) の芸名で知られるブライアン・フレデリック・アーサー・ハインズ(Brian Frederick Arthur Hines、1944年10月29日 - 2023年12月5日)は、イングランドのバーミンガム出身のミュージシャン。
ボーカルの他、ギター、ベース、ハーモニカ、キーボードと様々な楽器をこなすマルチプレイヤーであり、作詞作曲も手がける。
ムーディー・ブルース(The Moody Blues)のオリジナル・ギタリスト兼シンガーであり、1970年代にはポール・マッカートニー率いるウイングス(Wings)での結成時からの活躍で広く名を広めた。
生い立ちと初期の活動
バーミンガムのヤードリー・グラマー・スクール在学中に、ジプシー・スウィングの伝説的プレイヤーであるジャンゴ・ラインハルトの影響を受けてギターを手にする。
12歳の時に初ステージを踏み、後にエレクトリック・ライト・オーケストラ(ELO)でプレイするベヴ・ベヴァンとともにデニー&ザ・ディプロマッツ(Denny Laine And The Diplomats)[1]を結成し、プロとしてのキャリアをスタートする。
ムーディー・ブルース
1964年、ディプロマッツを脱退し、マイク・ピンダーらとムーディー・ブルースを結成。
ヒット曲「ゴー・ナウ」など多くの曲でリードを取るが、徐々にシンフォニック・ロック的なサウンドを志向し始めたグループとの音楽性の違いから、1966年に脱退。
デニー・レインズ・エレクトリック・ストリング・バンドほか
ムーディー・ブルース脱退後、後のエレクトリック・ライト・オーケストラに似たストリングス・セクションを持つエレクトリック・ストリング・バンド(Denny Laine's Electric String Band)[2]を結成、ギターとボーカルを担当した。ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスやプロコル・ハルムらとロンドンのサヴィル・シアターのステージにも立った。しかし知名度はそれほど上がらず解散。
また彼は1967年と1968年にデラム・レコードから「セイ・ユー・ドント・マインド」(Say You Don't Mind)[3]と「トゥー・マッチ・イン・ラヴ」(Too Much In Love)[4]の2枚のソロ・シングルをリリースした。
1970年、ジンジャー・ベイカーのジンジャー・ベイカーズ・エアフォースに加入して、同年に発表された2作のアルバム[5][6]に参加した。しかし同バンドは1971年に解散した。
ウイングス
1971年、旧知の仲だったポール・マッカートニーに誘われ、ウイングスを結成。ギター、ボーカルを担当する[注釈 1]。
作曲も担当し、イギリスで大ヒットを記録したシングル「夢の旅人」(Mull of Kintyre) をマッカートニーと共作。アルバム『ロンドン・タウン』(London Town)では、フォークソング調の作風を得意とする彼の個性を遺憾なく発揮した。
ウイングスはリードギター、ドラムスは流動的であったが、レインは結成から1981年の解散までの10年間、マッカートニーと妻のリンダ・マッカートニー以外では唯一、結成から解散まで在籍して夫妻の名パートナーとしてウイングスを支えた。マッカートニーにとっても、レインとの活動期間の方がビートルズのプロ活動期間[注釈 2]よりも長かった。
ウイングス以降
ウイングス解散後も、1986年にバーミンガム小児病院を支援するためのチャリティ・ライブ「ハートビート・チャリティ・コンサート」を開催するなど、精力的に活動。
ビートルフェストで元ウイングスのメンバーと部分的な再結成ギグを行ったり、ウイングスのトリビュート作品にも登場したほか、最近では2010年5月、ノースラスベガスのカナリー・カジノ・アンド・ホテルで行われたゴードン・ウォーラー・トリビュート・コンサートにも参加した。
2018年1月、ムーディー・ブルースが『ロックの殿堂』入りを果たし[7]、レインもセレモニーのステージに立った。
2023年12月5日、フロリダ州ネープルズで2022年に感染した新型コロナウイルスの後遺症による間質性肺疾患(ILD)で死去。79歳没[8]。
私生活
最初の妻ジョ・ジョ(死別)との間に1男1女を授かったほか、婚外子が3人いる。