デニー白川
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1950年から3年間ほど、ハンク・スノウ、ハンク・ウィリアムズなどのカントリーウエスタンを歌った[2]。
小学5年生の頃より米軍キャンプにプロ歌手として派遣される。
1960年10月、コロンビア・レコードよりデビューした。
19歳のころ、ベニー桑木という芸名で、横浜市の関内のナイトクラブで歌っていた[3]。
1961年5月にナット・キング・コールが来日した際、身の回りの世話や通訳を担当した[4]。
音楽誌「ミュージック・ライフ」の毎月の人気投票でベスト10に入った[5]。
1967年11月、キングレコードより、『伊勢佐木町ブルース』をリリースした。青江三奈の同名の歌よりも1カ月早いリリースであった。作曲の吉田矢健治からは第二のバーブ佐竹(1965年に作詞:山北由希夫、作曲:吉田矢の「女心の唄」で日本レコード大賞新人賞を獲得)として売り出したいとデニーは聞いた。この曲は2万8000枚売れた。
1970年12月、全日本歌謡選手権10週に挑戦、勝ち抜く[6]。
1980~81年、ハワイ・ロサンゼルス・サンフランシスコ・ニューヨーク・オーストラリア・シンガポール・タイ・マニラ・バンコク。香港にて巡業。
現在は音楽界の第一線から退いているが、クラブなどで歌唱を披露することもある[7]。