デマラトス
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紀元前6世紀末、クレオメネスの助力によってアテナイは僭主から解放されたが、それ以来力をつけ始めた。これを受け、アテナイの力を殺ぎ、脅威を取り除くためにクレオメネスはアテナイを再び僭主制に戻し、僭主の地位にアテナイの政治家イサゴラスを就けようとしてアッティカに侵攻した。しかし、まさにアテナイ軍と矛を交える直前にデマラトスは麾下の軍と共に撤退し、クレオメネスの試みを失敗させた[1]。
紀元前492年、アテナイの向かい側の島国アイギナがペルシアに服属した時、アテナイはスパルタにこの行為への制裁を要請した。クレオメネスはそれに応じ、首謀者を逮捕しようとアイギナ島に渡ったが、アイギナ側はスパルタ王が二人とも揃って来ない限りは首謀者を突き出さないと言い、そのためにクレオメネスの目論みは不成功に終った。これはデマラトスの入れ知恵であった[2]。
それらの妨害行為への報復としてクレオメネスは、デマラトスに婚約者を奪われて彼を恨んでいたエウリュポン朝の王族レオテュキデスを誘ってデマラトスを廃位する陰謀を練った。その口実はデマラトスは本当はアリストンの子ではなく、彼の母の前夫アゲトスの子であるというものであった。クレオメネスはデルフォイの巫女を買収して自分に都合が良いことを言わせ、その神託に従ってデマラトスは廃位され、代わりに紀元前491年にレオテュキデスが王位に就いた[3]。デマラトス廃位の後、クレオメネスはレオテュキデスと共に再度アイギナ島に赴き、そこの指導的市民を捕らえ、人質としてアテナイに預けた[4]。