トゥムスラの戦い

ボリビア独立戦争での戦闘 From Wikipedia, the free encyclopedia

トゥムスラの戦い(トゥムスラのたたかい、スペイン語: Batalla de Tumusla)は、1825年4月1日に現ボリビアポトシ県のトゥムスラで行われた戦闘である。アヤクーチョの戦い後のアルト・ペルーにおける最後の正規軍同士の戦闘であり、南米独立戦争の終盤の出来事の一つである。

概要 トゥムスラの戦い, 交戦勢力 ...
トゥムスラの戦い

1825年4月1日のイラスト
戦争アルト・ペルー解放戦役
年月日1825年4月1日
場所:トゥムスラ(現ボリビアポトシ県
結果:独立派の勝利
アルト・ペルーにおける戦闘終結
交戦勢力
独立派(大コロンビア軍) スペイン帝国(国王派)
指導者・指揮官
カルロス・メディナセリ・リサラス ペドロ・アントニオ・オラニェタ 
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背景

1824年アヤクーチョの戦いにより、南アメリカにおけるスペイン帝国の支配的な地位は事実上崩壊した。しかし、アルト・ペルー(現在のボリビア)地域では、ペドロ・アントニオ・オラニェタ率いる国王派軍が依然として抵抗を続けていた。

オラニェタは地域的な支配を維持しようとしたが、状況は絶望的であった。南からはホセ・ミゲル・ウルディニネア率いる軍勢が、北からはアントニオ・ホセ・デ・スークレ率いる大コロンビア軍が圧力をかけており、国王派軍は戦略的に挟撃される形となった[1]。これにより、オラニェタの軍勢は孤立し、最終的な決戦を避けられない状況に追い込まれた。

戦闘

1825年4月1日、トゥムスラにおいて独立派軍とオラニェタ率いる国王派軍が衝突した。独立派軍は数的および戦略的優位にあり、国王派軍を圧倒した。

この戦闘において、国王派の総司令官であるペドロ・アントニオ・オラニェタは致命傷を負った。彼は戦場から離脱したものの、翌4月2日に死亡した[1]。指揮官を失った国王派軍は完全に崩壊し、アルト・ペルーにおけるスペイン正規軍の組織的な抵抗は事実上終焉を迎えた。

なお、スペイン国王フェルナンド7世は、この戦況およびオラニェタの死を把握していなかった。そのため、オラニェタが死亡した後の5月27日付で、彼をリオ・デ・ラ・プラタ総督(Virrey del Río de la Plata)に任命するという、皮肉な人事決定を下している。

影響

トゥムスラの戦いでの敗北とオラニェタの死は、残存する国王派勢力に決定的な打撃を与えた。これを受けて、4月7日にはホセ・マリア・バルデスが降伏し、アルト・ペルー全域の解放が完了した[2]

これにより、地域の政治的真空状態が生まれ、独立派による新国家建設への道が開かれた。この流れは、同年8月6日ボリビア独立宣言およびボリビア共和国の建国へと直結することとなる[3]

脚注

外部リンク

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