トラキア人
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歴史
有史以前については明確ではないが、ブルガリアで紀元前3千年頃の墓などが見つかっており、これが原トラキア人のものと見られる。彼らは新石器時代のヨーロッパ先住民族と青銅器時代初期の原インド・ヨーロッパ民族が融合した(あるいは後者が前者を征服したとの考えもある)民族と考えられる。
トラキア語は比較言語学的にはインド・ヨーロッパ語族に属するが、資料が限られていることもあり、言語から民族系統を明らかにするのは難しい。トラキア人に関する最初の記録は『イリアス』に現れる。ここには、アカマースとペイロオスに率いられたトラキア人がトロイアを支援して戦ったとの話が出てくる[1]。また『オデュッセイア』には、オデュッセウスたちがトロイア戦役から帰還の途中、トラキアを襲った話が出てくる。
本格的に記録に現れるのは紀元前5世紀からである。この頃のトラキア人についてヘロドトスは、人口・勢力ともに有力な民族として記録している。彼の『歴史』には、トラキア人の奇習(火葬、一夫多妻、人身御供、子売りなど)について書かれている。またトラキアではディオニュソス信仰が盛んであったとされ、ディオニュソスはトラキアに由来するとの説もある。
トラキア人は数多くの部族に分かれていたが、紀元前1世紀にブレビスタを王としたダキア王国のように、有力部族が連合して大きな国を作ることもあった。
トラキア人は次第にギリシア文化の影響を受けてギリシア語を公用語・共通語として使うようになり、紀元前3世紀にマケドニア王国がトラキアを征服するとこの傾向はさらに強まった。紀元後1世紀にはローマ帝国に支配され、トラキア人はギリシア化(トラキア)またはローマ化(モエシア、ダキア)された。彼ら独自の言語と文化はギリシア化・ローマ化や度重なる他民族の侵入・支配により消滅した。
ダキア人はローマ化されてヴラフ人(en:Vlachs、10世紀の記録に初めて現れ、ワラキアの語源となる)と呼ばれ、さらに現代のルーマニア人などになった。
ドナウ川の南にいたトラキア人の一部は、6世紀に侵入したスラヴ人(南スラヴ人)によってスラヴ化され、さらにテュルク系ブルガール人に支配され、8 - 10世紀には、ブルガール人と共に同化して、コーカソイド系のブルガリア人となった。

