トリノ条約 (1696年)
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1690年、サヴォイア公国のヴィットーリオ・アメデーオ2世はスペイン王カルロス2世と神聖ローマ皇帝レオポルト1世と同盟して、大同盟戦争で領土拡大に野心的だったフランス王ルイ14世と戦っていた。しかし、サヴォイアはトリノから南西約50キロメートルでおきたスタファルダの戦いで大敗した。フランス軍の進撃は翌1691年6月のクーネオ包囲戦で一時止められたものの、ニコラ・カティナ率いるフランス軍は侵攻を再開、1691年のクリスマスの数日前(12月22日)にモンメリアンを落とした。
サヴォイアが軍事的に不利だったため、ルイ14世はヴィットーリオ・アメデーオ2世に平和を提案した。ヴィットーリオ・アメデーオ2世はこのとき重病にかかっており、後継者の息子もいなかったが、それでも踏ん張っていとこを後継者に指名、和約の提案を蹴った。彼は病気からは回復したが、1693年10月のマルサリーアの戦いでさらなる大敗を喫してしまった。補給と資金の不足でフランス軍はすぐ近くのトリノに進軍することができなかったが、すでに消耗していたサヴォイア軍はモンカリエーリ城に篭城することを余儀なくされた。