撫養城
徳島県鳴門市にある城跡
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概要
築城は、古くは小笠原氏の居城と伝えられるが、はっきりとはわかっていない[1]。
戦国時代後期、撫養城は三好氏の配下の四宮氏が城主であったが、天正10年(1582年)、長宗我部元親が阿波国へ侵入し、撫養城を落城させた[1]。その後、長宗我部元親の配下である真下飛騨守同城を守備する[1]。しかし、天正13年(1585年)、豊臣秀吉の四国征伐により、豊臣軍が攻めてくると落城した[1]。四国征伐後、蜂須賀家政が阿波の新領主となると、蜂須賀氏の居城・徳島城の支城を9城置くことにし、撫養城はその一つに選ばれ、蜂須賀家臣で家政の叔父にあたる益田正忠を撫養城の城番としてこれを守らせた(阿波九城)[1][2]。
元和元年(1615年)に発令された一国一城令では廃城とならなかったが、寛永15年(1638年)に発令された一国一城令により、廃城となった[1]。
