トーマス・ヘルプスト
ドイツの画家
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略歴
ハンブルクで生まれた。1865年からフランクフルト・アム・マインのシュテーデル美術館の美術教室で学び、翌年ベルリンの美術学校で、カール・シュテフェックに学んだ。1868年に友人となったマックス・リーバーマンとワイマールの美術学校に移り、シャルル・ヴェルラに学んだ[1]。1873年から1876年の間はデュッセルドルフを拠点とし、オランダへ旅して修行し、1876年から翌年にかけてリーバーマンとパリに滞在し、1878年はミュンヘンで修行した。ミュンヘンでは写実主義の画家ヴィルヘルム・ライブルと知り合った[2]。
1884年からはハンブルクに戻り、スタジオを開き「女性実業学校」(Gewerbeschule für Frauen)で絵画の教師をした。1897年にハンブルク美術館館長アルフレート・リヒトヴァルクが主導して創られた、ハンブルク芸術家クラブ(Hamburgischer Künstlerklub)の創立メンバーとなったが、会員のアルトゥール・ジーベリストの開いた美術学校の学生が会員として加わった時、彼らの技量を認めなかったヘルプストは1903年にこの会を脱会した[2]。ハンブルク芸術家協会(Hamburger Künstlerverein von 1832)の会員でもあった。
風景画を得意とし、牛の絵も得意で「Kuhherbst」(牛のヘルプスト)という異名があった。