ドゥ・ノット・アジャスト・ユア・セット
From Wikipedia, the free encyclopedia
| ドゥ・ノット・アジャスト・ユア・セット(Do Not Adjust Your Set) | |
|---|---|
| ジャンル | バラエティ番組 |
| 脚本 |
エリック・アイドル テリー・ジョーンズ マイケル・ペイリン |
| 出演者 |
エリック・アイドル テリー・ジョーンズ マイケル・ペイリンほか |
| 音楽 | ボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・バンド |
| 言語 |
|
| 製作 | |
| プロデューサー | ハンフリー・バークレー |
| 製作 | ITV (イギリス) Associated-Rediffusion |
| 放送 | |
| 音声形式 | モノラル放送 |
| 放送国・地域 | |
| 第1シーズン | |
| 放送期間 | 1967年12月26日 - 1968年3月28日 |
| 放送時間 | 木曜 17:25 - 17:55 |
| 回数 | 13 |
| 特番 | |
| 放送期間 | 1968年7月29日 |
| 放送時間 | 月曜 19:00 - 19:30 |
| 回数 | 1 |
| 第2シーズン | |
| 放送期間 | 1969年2月19日 - 5月14日 |
| 放送時間 | 水曜 17:20 - 17:50 |
| 回数 | 13 |
| 番組年表 | |
| 関連番組 | AT LAST THE 1948 SHOW 空飛ぶモンティパイソン |
『ドゥ・ノット・アジャスト・ユア・セット(Do Not Adjust Your Set)』 (DNAYS) は、1967年12月26日から1969年5月14日まで、イギリスの民放テレビ局 「ITV」の系列局「Associated-Rediffusion」(現:REDIFFUSION (en) )で製作されたテレビ番組。全27回、2シーズン放送(第1シーズン:1967年12月26日~1968年3月28日 全13回、第2シーズン:1969年2月19日~5月14日 全13回、1968年7月29日に特番が放送)。
タイトルの"Do Not Adjust Your Set" はテレビ放送にトラブルがあった際に表示される文言で、「チャンネルはそのままで」という意味。放送開始時は少し変わった子供向けスケッチ(コント)番組として製作され午後4時半に放送されていたが、ほどなくして大人の間でも人気を博すようになり、シーズン2からは午後7時に再放送が始まった。スケッチはシュールで不条理なものや風刺的なものが多く、テリー・ギリアム製作のアニメーションも流れ、これらはBBC制作の『空飛ぶモンティ・パイソン』に引き継がれた。
出演者は俳優のデヴィッド・ジェイソン、演劇やラジオ番組でキャリアを積んだ女性コメディアンのデニス・コフィー (en) 、後に『空飛ぶモンティ・パイソン』に参加するエリック・アイドル、テリー・ジョーンズ、マイケル・ペイリン。風刺コメディ/アート/ポップ グループの“ボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・バンド”も番組で歌やパフォーマンスを披露し、スケッチのエキストラとしても登場した(メンバーのニール・イネスは後に『空飛ぶモンティ・パイソン』に音楽面で参加)。
レギュラー企画に「キャプテン・ファンタスティック」という連続活劇物があった。デビッド・ジェイソン演じるキャプテン・ファンタスティックが、悪党のミセス・ブラック(演:デニス・コフィー)を追跡する話で、人気があったため『DNAYS』が終了した後もスピンオフのエピソードが製作された。
ドイツのミュンヘンで開催される子供と青少年向けテレビ番組の祭典「プリ・ジュネス」(Prix Jeunesse International Television Festival)にて、1968年に12 - 15歳のカテゴリーで第1位を獲得している。
番組のなりたち
1883年創立のコメディ・サークル「ケンブリッジ・フットライツ」[1]出身のプロデューサーであるハンフリー・バークレーが、まずエリック・アイドルに番組制作の話を持ち掛けた。そしてテリー・ジョーンズに「エリック・アイドルと組んで子供番組を作らないか?」と提案をする(この時点で番組名は決定していた)。ジョーンズはマイケル・ペイリンに相談した。これまで番組のために台本を書いても演者のアドリブだらけの内容になってしまうことにうんざりしており、自分で書いた台本を自分で演じることを望んでいたジョーンズは引き受けることにした。エリック、マイケル、ジョーンズが台本と演技を担当することになり(エリック、マイケル、ジョーンズのギャラは3人で番組1本で100ポンド)、そこにテリー・ギリアムが加わった。フリーのイラストレーター[2]だったテリー・ギリアムはスケッチとスケッチの間のアニメーションを担当し、この番組がアニメーターに転向するきっかけとなった。また、バークレーは1967年に開催されたエディンバラ・フェスティバルで行われた舞台でデニス・コフィーを知り感銘を受け、彼女を番組に起用した。
その後
この番組を観ていたジョン・クリーズとグレアム・チャップマンが、マイケル・ペイリンに一緒に仕事をしようと電話で話を持ち掛けるが、マイケル側はテムズ・テレビの番組企画を検討していたため乗り気ではない様子だった。しかし2週間後にマイケルから承諾する連絡があり、これがモンティ・パイソンの結成に繋がった。[3]