ドグソミーン・ボドー
モンゴル首相
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生い立ち
モンゴル人民党結成
ロシア領事館でしばらく勤務する間に、ボドーは多くのロシア人の知己を得るとともに、ロシア革命の影響を受け、ボリシェヴィキに傾倒するようになった[7]。1919年中国によるウルガ自治権の排斥行動はモンゴル民族主義を刺激し、同年の9月にボドーらは、秘密革命組織「領事館丘グループ」(Konsulyn Denj)を結成した。このグループの中核メンバーには、ダムビン・チャグダルジャヴ、ボドーのロシア語通訳として働いていたホルローギーン・チョイバルサンらがいた[8]。時を同じくして、ソリーン・ダンザン率いる秘密革命組織ズーン(東)フレー・グループが結成されたが、両派は合流し、モンゴル人民党(後のモンゴル人民革命党)を結成した。人民党は中国によるモンゴル支配の打破を志向しており、ソビエト・ロシアに対して友好的であった。1920年人民党は、ボリシェヴィキとの関係確立を目的にボドー、スフバートル、チャグダルジャヴ、チョイバルサン、ダンザンなど7人の使節団をロシアに送った[9]。