ドンダーの戦い
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背景
戦闘
両広総督であった孫士毅が清軍の司令官となり[2]、広東・広西・雲南・貴州から募った軍を率い乾隆53年(1788年)10月に安南への侵攻を開始した。11月19日に昇龍(現在のハノイ)を陥落させると、清は昭統帝を安南国王に封じたが、孫士毅が軍政を敷き[4]、この年起きた飢饉に対しても清軍は略奪を行った[5]。多くの安南人が三畳(現在のニンビン省タムディエップ)の山岳地帯に逃れ、富春(現在のフエ)に拠る北定王阮恵に助けを求めた。
当時、兄の泰徳帝阮岳と対立しつつあった[4]阮恵は元号を光中として皇帝を称し[2]、乂安で募った10万の兵を率い北上。清軍に占領された昇龍の郊外[4]で軍を編成した。阮恵は正月中の昇龍回復を宣言し[5]、正月祝いの準備を行う清軍に対して奇襲を仕掛けると、清軍はドンダーで大敗北を喫した。清の将軍のうち許世亨・尚維昇・張朝龍・李化龍・岑宜棟は戦死し、多くの兵士たちが紅河で溺死した。
戦後処理
史跡等
参考資料
- 石井米雄、桜井由躬雄編 編『東南アジア史 I 大陸部』山川出版社〈新版 世界各国史 5〉、1999年12月20日。ISBN 978-4634413504。
- 桐山昇、栗原浩英、根本敬編 編『東南アジアの歴史―人・物・文化の交流史』有斐閣〈世界に出会う各国=地域史〉、2003年9月30日。ISBN 978-4641121928。
- レイ・タン・コイ 著、石澤良昭 訳『東南アジア史』(増補新版)白水社〈文庫クセジュ〉、2000年4月30日。ISBN 978-4560058268。
- 『物語ヴェトナムの歴史 一億人国家のダイナミズム』〈中公新書〉。ISBN 4-12-101372-7。