トカチェンコは、五種競技の選手として、1972年ミュンヘンオリンピックで国際大会にデビュー。この大会では4370ポイントで9位という結果に終わっている。しかし、1973年のユニバーシアードで優勝すると、1974年のヨーロッパ選手権でも、4776ポイントで、東ドイツのブルクリンデ・ポラックらをおさえて金メダルを獲得した。
トカチェンコは、1976年モントリオールオリンピックでは、この大会吹き荒れた東ドイツ旋風のあおりを受け、ジーグルン・ジーグル、クリスティン・ラーザー、ポラックとメダルを独占した東ドイツ勢、そして同じソ連のリュドミラ・ポポフスカヤに次いで5位に終わった。
1977年に、五種競技の種目構成について、それまで最終種目の200mが800mへと一部変更されたことから、スプリント種目に強かった東ドイツ勢に比べてトカチェンコに有利な構成となった。1978年のプラハで開催されたヨーロッパ選手権では4744ポイントで2位となったが、1位のハンガリーのマルギット・パップがドーピングのため失格したため、トカチェンコは大会2連覇を達成した。
そして、1980年のモスクワオリンピックでは、トカチェンコは5083ポイントと世界新記録を達成し金メダルを獲得。前回の東ドイツ勢の表彰台独占に代わり、オルガ・ルカビシュニコワ、オルガ・クラギナとともにソ連勢で表彰台を独占した。