ニコライ・カシュキン
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ヴォロネジの本屋の息子に生まれ音楽に関しては独学であったが、13歳になる頃にはピアノをひとに教えるようになっていた。1860年にモスクワへと赴き、アレクサンドル・デュビュークの下でさらにピアノの研鑽を積んだ。この地でゲルマン・ラローシ、ニコライ・ルビンシテイン、そしてピョートル・チャイコフスキーと出会っている[2]。
時に「ニコライ・ドミトリエフ」(Николай Дмитриев)という筆名を用いつつ、専ら「Русские ведомости」や「Московские ведомости」に音楽評論を寄稿した[1]。評論家としてのカシュキンはチャイコフスキーの音楽の普及に貴重な役割を果たした[3]。チャイコフスキーの交響曲第2番に『小ロシア』という通称を与えたのは他ならぬカシュキンである。チャイコフスキーは彼に歌曲「おお、友よ語るな」 作品6-2(1869年)を献呈している[1]。
チャイコフスキーの死から3年後には彼の回想録を出版している。
