ニコライ・サプノフ From Wikipedia, the free encyclopedia 生誕 (1880-12-17) 1880年12月17日ロシア、モスクワ死没 1912年6月11日(1912-06-11)(31歳没)ロシア、ゼレノゴルスク(Zelenogorsk)ニコライ・サプノフ Николай Сапунов 日付不詳の肖像写真生誕 (1880-12-17) 1880年12月17日ロシア、モスクワ死没 1912年6月11日(1912-06-11)(31歳没)ロシア、ゼレノゴルスク(Zelenogorsk) テンプレートを表示 ニコライ・ニコラエヴィチ・サプノフ(ロシア語: Николай Николаевич Сапунов, ラテン文字転写: Nikolai Nikolaevich Sapunov、1880年12月17日 - 1912年6月11日)は、ロシアの画家、舞台美術家である[1][2][3]。画家としては静物画や肖像画を描いた。31歳で事故で水死した。 モスクワで生まれた。1893年から1904年の間モスクワ絵画・彫刻・建築学校でコンスタンチン・コローヴィンやイサーク・レヴィタン、ヴァレンティン・セローフに学んだ。1902年にはイタリアを訪れている[1]。1904年からはサンクトペテルブルクの帝国美術アカデミーでアレクサンドル・キセリョフに指導を受け、キセリョフが1911年に亡くなるまで弟子であった。 1904年に、モスクワ絵画・彫刻・建築学校の卒業生のパベル・クズネツォフ(1878-1968)やピョートル・ウトキン(1877-1934)らに率いられた「赤いバラ(Алая роза)」展にはじめて作品を発表した。この展覧会にはミハイル・ヴルーベリやヴィクトル・ボリソフ=ムサトフといった画家も名誉会員として招待された。その後さまざまな美術家グループに参加し、展覧会に参加した.[1][3]。 モスクワとサンクトペテルブルクで舞台美術家として活躍し、舞台美術家のコンスタンチン・コローヴィンとモスクワのボリショイ劇場やモスクワ芸術座の仕事をし、演劇プロデューサーのフセヴォロド・メイエルホリドにより上演された1906年にアレクサンドル・ブローク作の人形劇のセットや衣装をデザインした。女優のヴェラ・コミサルジェフスカヤの劇場や演劇監督のアレクサンドル・タイロフの実験劇場の舞台美術の仕事もした。画家としては、花と陶磁器を描いた静物画で知られている。 1912年の夏、女優のリュボーフィ・ブロークがフィンランド湾に面したロシアの町ゼレノゴルスク(Zelenogorsk)で公演した時、詩人のミハイル・クズミンらとともに同行した。クズミンの日記によれば、余暇に海遊びをして小さなボートで海に出た時、操船ミスでボートは転覆し、他のメンバーは生還できたがサプノフは溺死した[3]。 作品 花と磁器のある静物画(1904)ロシア美術館 花瓶と花と果物のある静物画トレチャコフ美術館 ミハイル・クズミンの肖像画(1911)ベラルーシ国立美術館 画家Nikolay Milioti の肖像画(1908)ベラルーシ国立美術館 参考文献 1 2 3 Большая российская энциклопедия: САПУНО́В Николай Николаевич (abgerufen am 3. August 2021). ↑ Art Katalog: САПУНОВ Николай Николаевич (abgerufen am 3. August 2021). 1 2 3 Ида Гофман: Творческий путь автора «голубой розы». In: Наше Наследие. Nr. 71, 2004 典拠管理データベース 全般ISNIVIAFFASTWorldCat国立図書館ドイツアメリカチェコポーランドイスラエル芸術家ULANオランダ美術史研究所データベースオルセー美術館その他IdRef Related Articles