ニコラ・クストゥー
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リヨンで生まれた。父親のフランソワ・クストゥー(François Coustou)はあまり有名でない木彫家で、母方の叔父のアントワーヌ・コワズヴォ(1640–1720)は王立絵画彫刻アカデミーの教授となった彫刻家であった。
1676年にパリに出て、王立絵画彫刻アカデミーで叔父のアントワーヌ・コワズヴォに学んだ。5年間の修行の後、1682年にアカデミーのローマ賞を受賞して、1683年から1686年の間、在ローマ・フランス・アカデミーで学んだ。弟のギヨーム・クストゥー1世もニコラと同様なキャリアを経て、1697年にローマ賞を受賞した。ニコラ・クストゥーはローマで古代彫刻の複製を制作して修行した。
1687年にパリに戻ると1690年9月に画家、ルネ=アントワーヌ・ウアスの娘のシュザンヌ=アニエス・ウアス(1674-1719)と結婚した。1693年に王立絵画彫刻アカデミーの会員に選ばれ、1702年に教授となり、1720年に学部長となり、1733年の亡くなる少し前に校長に就任した。
ルイ14世からルイ15世の治世下で働き、ヴェルサイユ宮殿やパリのオテル・デ・ザンヴァリッド(廃兵院)、マルリー宮殿などの彫刻を制作した[1]。
フランス革命によりクストゥーの作品の多くが失われたが、チュイルリー公園やノートルダム大聖堂、ルーブル美術館に残されている[1]。