ニコラ・ボードー
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アンボワーズに生まれる。父の職業は仕立て屋。ペリゴールのシャンスラド大修道院で宗教教育を受け、同修道院の参事会員となって神学を教えた。その後、1750年代にペリゴール出身のパリ大司教クリストフ・ド・ボーモンの招きでパリに出た。パリに出てから財政問題に関心をもつようになり、アンリ・ベルタンの知遇を得た。1763年に『国王の財政についての一市民の見解(Idées d’un citoyen sur l’administration des finances du Roi)』を公刊。ついで、1765年11月4日に、経済雑誌『市民日誌、国民精神時評(Ephémérides du citoyen ou Chronique de l’esprit national)』を創刊した。雑誌創刊後の論争を経て重農主義を受け入れ、また、その中心人物ケネーとも知り合った。このことから、『市民日誌』は重農主義の機関誌的な役割を果たすようになった。
1768年、ポーランド貴族マサルスキ公の要請で、ポーランドを訪問、あわせてリトアニア、ロシアなどを回った。この時期、『市民日誌』の編集権をデュ・ポン・ド・ヌムールに譲った。
帰国後の1771年に『経済哲学第一序説(Première introduction à la philosophie économique)』を出版し、重農主義の立場から国家を構成する生産階級が「相互にいかなる調和的関係を保っているか」[1]を詳論した。