パリに生まれた。王立絵画彫刻アカデミーの画家、ピエール・デュラン(Pierre Dulin: 1669-1748)の学生になり、その後、クロード・ジロー(1673-1722)のスタジオで6年間、学んだ。「雅宴画」のジャンルを流行させることになるアントワーヌ・ヴァトー(1684-1721)もジローの弟子であった。人気になっていた「雅宴画」の代表的な画家になり、1719年に王立絵画彫刻アカデミーの会員に選ばれた。1720年代の終わりに、師のジローとヴァトーが、続けて亡くなり、「雅宴画」のジャンルはヴァトーの弟子だったジャン=バティスト・パテル(1695-1736)とランクレが、リードしていくことになった。
戸外での宴会や村の祭りなどの場面や、劇場で演じられる演目を題材に描き、そのスタイルはヴァトーのスタイルに似ているが、絵画の躍動感はヴァトーに及ばなかったともされる。
人気のある画家になり、1735年に王立絵画彫刻アカデミーの評議員になった。プロイセン王フリードリヒ2世などがランクレの作品を収集し、また多くのランクレの作品は版画にされて出版された。