ニュージーランド空軍

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創設 1937年
軍種 空軍
ニュージーランド王立空軍
Royal New Zealand Air Force
Te Tauaarangi o Aotearoa
創設 1937年
国籍 ニュージーランドの旗 ニュージーランド
所属組織 ニュージーランド軍
軍種 空軍
標語 Per ardua ad astra英語版
行進曲 ニュージーランド空軍行進曲英語版
戦歴
ウェブサイト http://airforce.mil.nz/
指揮
最高司令官 シンディ・キロ総督
国防軍司令官英語版 トニー・デイヴィス空軍中将
空軍司令官 ダリン・ウェッブ空軍少将[1]
識別
国籍識別標
フィンフラッシュ
空軍旗
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ニュージーランド王立空軍(ニュージーランドくうぐん、英語: Royal New Zealand Air Forceマオリ語: Te Tauaarangi o Aotearoa)は、ニュージーランド空軍

1923年にニュージーランド陸軍の一部門として設立され、1937年に陸軍より独立した。発足後は第二次世界大戦マラヤ危機朝鮮戦争ベトナム戦争湾岸戦争国連平和維持活動に参加している。1945年に1,000機を超える戦闘機を保有していたが、2022年には48機まで縮小された。また2001年にA-4スカイホークアエルマッキMB-339を装備した飛行隊が解散して以降、航空戦闘能力はない。

ニュージーランド空軍は空軍司令官に任命される空軍少将により率いられる。

歴史

ニュージーランド軍事航空は、1913年にニュージーランド陸軍がイギリスからブレリオ・アエロノーティック英語版の単葉機2機を貸与されたことから始まった[2]。2機とも後にイギリスに返還された[2]

第一次世界大戦

ニュージーランド政府は、戦争に備えてパイロットを養成する2つの私立学校を支援した。オークランドにあるウォルシュ兄弟飛行学校は、ニュージーランドで初めて管制飛行を行ったレオ・ウォルシュとヴィヴィアン・ウォルシュ英語版によって設立された[3]

1916年、ヘンリー・ウィグラム英語版クライストチャーチのソックバーンにカンタベリー航空会社を設立し、パイロット養成のためにイギリスからコードロン複葉機英語版を購入した。彼は、後にウィグラム飛行場英語版となるこの飛行場を国防目的で政府に譲渡した。

戦間期

ニュージーランド常設空軍

ニュージーランド常設空軍水上機部隊のスーパーマリン ウォーラス

戦争の終結時に、イギリスは各自治領に戦争余剰戦闘機100機を帝国贈呈英語版として提供した[4]。ニュージーランドは最後に応じたが、最も熱心ではなかった[5]アブロ 504ブリストル F.2戦闘機、エアコ DH.4英語版およびエアコ DH.9英語版の合計33機の航空機がニュージーランドに到着したが、それらは保管されるか、飛行学校、バーンストーミング英語版、民間航空会社に貸し出された。

1923年6月14日、ニュージーランド常設空軍が公布された。当初はニュージーランド陸軍の一部として、4人の将校と2人の幕僚が専任として配属され、さらに予備役の102人の将校がニュージーランド常設空軍に配属された[6]

第二次世界大戦

ニュージーランドのエースパイロット、ジョニー・ホルトン(DFC)がかつて操縦していた、復元されたMk IXスピットファイア。1946年に複座型に改造された。

第二次世界大戦勃発時、ニュージーランド空軍(RNZAF)の主要装備は1938年に発注されたビッカース ウェリントン爆撃機30機であった。機体は完成し、1939年にはRNZAFの乗組員がイギリスで訓練を行っていた。しかし、ヨーロッパでの戦争勃発の可能性が高まると、ニュージーランド政府は1939年8月に機体と乗組員をイギリスに提供した[7]。彼らはイギリス空軍第75飛行隊英語版となった。他にも多くのニュージーランド人がイギリス空軍に勤務した。

太平洋戦争

ドイツ軍の襲撃機の存在は、ニュージーランドを拠点とする戦闘部隊の結成につながり、当初はビルデビーストなどの機体を再武装し、デ・ハビランドDH.86英語版などの徴用された旅客機を爆弾搭載用に急遽改造した。1941年初頭にはロッキード・ハドソンが調達され、この役割を引き継いだ。ヴィッカース・ヴィンセント英語版ショート・シンガポール英語版を擁する第5飛行隊はフィジーの防衛に派遣された。1941年12月、日本軍がニュージーランド北部の地域の大部分を攻撃し、制圧した。差し迫った侵略の脅威を前に、ニュージーランドは自国の防衛と同時に、イギリスを助ける必要に迫られた。ニュージーランドの練習機と旅客機には迷彩塗装と武装が施され、ノースアメリカン・ハーバード、ホーカー・ハインド英語版、エアスピード・オックスフォード、さらにはデ・ハビランド・タイガーモスといった様々な機種が、侵略の際に運用するためのシャドー爆撃機、陸軍協力隊、戦闘機隊を編成した。

南太平洋の部隊を管理するために、1943年3月10日にシドニー・ウォリングフォード英語版空軍准将を司令官として、第1島嶼グループ英語版が結成された[8]

第二次世界大戦後、第14飛行隊英語版は占領軍のJフォース英語版の一員として日本に派遣された。

冷戦

朝鮮戦争

朝鮮戦争ではニュージーランド空軍の部隊は派遣されなかったが、多くのニュージーランド人が朝鮮戦争で他の空軍に勤務した。そのうちの1人、ヴァンス・ドラモンド英語版は撃墜され捕虜となった。ニュージーランド陸軍砲兵中尉は、軽飛行機の観測員として米空軍戦術管制部隊に配属された。ニュージーランド生まれのアラン・ボクサー英語版(後に空軍中将)は、米空軍への派遣でB29の乗員となった。1953年2月11日、オーシャンからイギリス海軍中尉として朝鮮半島に派遣されたニュージーランド人のセドリック・マクファーソン(Cedric Macpherson)は、乗機のホーカー・シーフューリーを撃墜され、死亡した。5人のニュージーランド人がオーストラリアの空母シドニーから、韓国上空でのオーストラリア海軍の任務に参加した。これらのパイロットの中には、かつてニュージーランド空軍に所属していた者もいれば、イギリス・オーストラリア両軍に参加した者もいた[9]

戦後の近代化

1962年6月にイアン・G・モリソン英語版空軍少将が航空参謀総長に就任し、ニュージーランド空軍の近代化を監督することとなった。以下の航空機が購入または発注された。

モリソンの近代化計画により、ニュージーランド空軍は当時の戦略的同盟関係を反映して、主にイギリス製航空機からアメリカ製航空機への切り替えを行った。ベル47の導入により、ニュージーランド空軍はヘリコプターを導入した。

ベトナム戦争

1962年以降、ベトナム戦争においてニュージーランド空軍はニュージーランド軍人や物資の輸送を行った。

冷戦後

冷戦が終結すると、ニュージーランド空軍はニュージーランド政府より支出の削減を求められたこともあり、施設の統合や再編が行われた。

湾岸戦争

湾岸戦争中、2機のハーキュリーズ第40飛行隊英語版の隊員がイギリス空軍のハーキュリーズ飛行隊に派遣された[10]

航空戦闘部隊の解散

1999年、当時の国民党政権はA-4スカイホークの置き換えのためF-16A/Bを発注したが、2001年のヘレン・クラーク率いる労働党政権の選出後にキャンセルされた。また、第2飛行隊英語版第14飛行隊英語版第75飛行隊英語版が解散しニュージーランド空軍は航空戦闘能力を失った[11]。その後、ニュージーランド空軍の戦闘機パイロットの大半はニュージーランドを離れ、オーストラリア空軍イギリス空軍に配属された[12]

2007年10月、政府はベル47ヘリコプターの優先代替機としてアグスタA109を選定したと発表した。

2008年に国防大臣は、陸軍と海軍の活動を補完するために、アエルマッキ社製のジェット練習機17機すべてを再び運用開始したいという希望を表明した[13]ジョン・キー首相は2010年に、ジェット機の訓練が再開される可能性は極めて低いと述べた[14]

宇宙部隊の設立

2025年7月4日、初の宇宙作戦部隊となる第62飛行隊を設立した[15]。設立時点での主な任務は、宇宙活動の監視・分析・把握とされる[15]

人道活動

第40飛行隊のC-130Hハーキュリーズ

ニュージーランド空軍は国内の数多くの事件、特に自然災害に関与してきた。

装備

脚注

外部リンク

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