紀元前327年の執政官(コンスル)クィントゥス・プブリリウス・ピロはパレオポリス(古い街という意味)とネアポリス(新しい街。何れも現在はナポリ市内)を孤立させるために、その中間に軍を布陣させていた。本来ならば、執政官ピロと ルキウス・コルネリウス・レントゥルスは年末には翌年の執政官選挙のためにローマに戻る必要があったが、プロコンスルとして翌年も引き続き軍の指揮をとることとなった。
サムニウムの都市アリファエ(en)、カリファエ、ルフリウムはローマに占領されていた。イタリア半島南部のルカニア人(en)とアプリア人もローマと同盟していた[6]。ローマはこれら都市に対する支援要請にも応える必要があったため、ネアポリスを完全に封鎖するかあるいは力攻によって占領することは出来なかった。このため、ネアポリス市民の裏切りを利用することとした。
紀元前326年、ネアポリスの指導者二人が市内でのサムニウム兵の不正行為に不満を持ち、ローマが街を奪取してネアポリスとの同盟を結ぶという計画を立案した。すでに市民はサムニウムに味方する気はなく、ローマに好意をもつようになっていた。ネアポリス市民は夜の闇を利用してローマ兵を市中に導き入れることを計画した[7]。決行当日はサムニウムからの船が到着予定であったため、サムニウム軍は海岸へ出て船を待っていた。この隙にローマ軍が裏門を通ってネアポリスに進入した[7] 。門が開放されると、戦闘が開始され、ネアポリスはローマ軍に占領された。ローマはネアポリスを好意的に処遇し、戦争を通じてネアポリスはローマの側にあった。この戦いの終了後、ネアポリスの中心はティレニア海の海岸沿いから内陸部に移動した[7]。