ヤシに生まれ、1901年にヤシ大学(英語版)で物理学と化学の学位を取得した。1905年に同大学から博士号を取得した。博士論文のテーマは、ルーマニアの塩鉱床と泥火山に存在するガスに関するもので、同大学最初の化学博士となった。1906年から1908年までチューリッヒ大学で専門課程を履修し、1912年にヤシ大学理学部の鉱物化学の教授に着任した。そこで、有機化学研究室を立ち上げた。科学的業績により、1925年にルーマニア学士院の通信会員に選出され、1936年には名誉会員に任命された[1]。
第一次世界大戦の終結期である1918年12月に政界に入り、農民党の創設メンバーとなった。1926年にルーマニア国民党と合併して国民農民党(英語版)(PNT)を結成するまで、農民党の副統裁を務めた。合併後も、PNTの主要メンバーであり続け、1926年に元老院に、1928年に代議院に選出された。1928年11月から1931年4月まで、イウリウ・マニウ(英語版)とゲオルゲ・ミロネスク(英語版)のPNT内閣で公教育大臣を務めた。また、1932年8月から1933年11月まで元老院議長を務めた[1]。