ノーダブル

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欧字表記 Nodouble
性別
ノーダブル
欧字表記 Nodouble
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1965年3月4日[1][2]
死没 1990年[1]
Noholme II
Abla-Jay
母の父 Double Jay
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 Gene Goff[1][2]
馬主 Gene Goff[1]
調教師 James Bert Sonnier[1]
競走成績
生涯成績 42戦13勝[1][2]
獲得賞金 846,749ドル[1][2]
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ノーダブルNodouble, 1965年 - 1990年)はアメリカ合衆国競走馬種牡馬。1969年・1970年のアメリカ最優秀古牡馬に選出されたほか、種牡馬入り後も1981年の北米リーディングサイアーに選出された。生涯で14か所の競馬場を渡り歩いた馬で、ファンからは「アーカンソー・トラベラー」の愛称で呼ばれていた[1]

  • 特記がない限り、競走はすべてダートコース。また、当時はグレード制未導入。

アーカンソー州石油採掘業者であるジーン・ゴフのヴァーナリー牧場で生産されたサラブレッドの牡馬である[1]。2歳時はステークス競走に多数入着するも勝ちきれない馬であった。

当初ノーダブルはクラシック登録をしていなかったが、3歳時になってオークローンパーク競馬場アーカンソーダービー(9ハロン)で優勝すると、馬主のゴフは追加登録料を払ってプリークネスステークスピムリコ・9.5ハロン)に出走させ、3着に入った[注 1]。その後アメリカンダービーでも2着に入ったのち[3]デトロイト競馬場で行われたミシガンマイルアンドワンエイスハンデキャップ(9ハロン)では当時の最強馬ダマスカスを相手に22ポンド差の軽ハンデを活かして勝利し[4]、またホーソーン競馬場ホーソーンゴールドカップ(10ハロン)ではトラックレコードタイ記録で優勝している[5]

4歳時は年初のチャールズ・H・ストラブステークス(サンタアニタパーク・10ハロン)こそ降着で2着と取りこぼしたが、大一番であるサンタアニタハンデキャップ(サンタアニタパーク・10ハロン)では優勝する。次いでカリフォルニアンステークスハリウッドパーク・10ハロン)をトラックレコードタイ記録で勝利すると[6]東海岸に飛んでブルックリンハンデキャップアケダクト・10ハロン)を制覇[7]、さらにホーソーンゴールドカップを連覇した[8]。この頃のライバルには3歳馬アーツアンドレターズがおり、メトロポリタンハンデキャップ(アケダクト・8ハロン)やウッドワードステークスベルモントパーク・10ハロン)、ジョッキークラブゴールドカップ(アケダクト・16ハロン)それぞれで同馬の2着に敗れている。当時は年度代表馬表彰が統一されていない時代で、デイリー・レーシング・フォーム(DRF)が最優秀古牡馬にアーツアンドレターズを選出した一方、サラブレッド競馬協会(TRA)はノーダブルを選出している。

5歳時は再びカリフォルニアから始動し、サンタアニタパークのサンパスカルハンデキャップ(8.5ハロン)ではトラックレコードで優勝した[9]。その後カリフォルニアンステークスでアーツアンドレターズ相手に3着、再び東海岸に渡ってメトロポリタンハンデキャップもトラックレコードで優勝した[10]。サラブレッド競馬協会は同年再びノーダブルを最優秀古牡馬に選出している。

種牡馬入り後

ノーダブルは1970年10月に競走生活を終え、翌年1971年よりカリフォルニア州のエル・ランチョ・ムリエタで種牡馬となった[1]。カリフォルニアではあまり成功せず、その後ケンタッキー州のドミノスタッドに移され、さらに後にフロリダ州のラスター牧場に移された。フロリダでは一転して成功を収めるようになると、再びケンタッキー州のスリーチムニーファームに移送され、そこで1990年に没するまで余生を過ごした[1]

ジョッキークラブの調べによると、ノーダブルは産駒644頭のうち428頭が勝ち上がり、うち84頭がステークス競走勝ちを収めている[1][注 2]。さらに1981年には北米リーディングサイアーの座を獲得している[1]。以下は主な産駒。

血統表

エピソード

脚注

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