ハセパーク
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1936年5月に横浜競馬場の新呼馬でデビューした。当初はヒキゾメという馬名で走り、同年の秋季東京開催からハセパークに改名している[1]。翌年3月の中山のレースで初勝利を挙げると、連勝で重賞・五歳馬特別を制した[1]。秋には第1回天皇賞 (秋)(当時の名称は帝室御賞典)に出走するが、8頭中7番人気で8着であった[2]。
1938年、6歳春になってから急激に力をつけ、春の帝室御賞典までに4勝をあげ、本番ではヒサトモらを抑えて1番人気に支持された。レースでは第3コーナー過ぎから先頭に立ち、そのまま押し切るという横綱相撲で優勝した。騎手は調教師兼任の金者斤奉[2]。タイム2.53.1はレコードであり、この時の売り上げは330,760円にのぼった[3]。
しかし、次に出走した目黒記念で6着に敗れて以降は尻すぼみの成績になり、8歳となる1940年まで走ったが良い成績は残せなかった[4]。
血統は牝系に軽半種、サラブレッド系種、アングロアラブ(アラブ系種)を含んでいたので種牡馬としての価値は低かったと考えられる。1940年春季を最後に登録を抹消、乗馬になったとされるが詳細はわかっていない[5]。