ハナヤ勘兵衛
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1903年に大阪市西区江戸堀で生まれる。大阪府立堺中学校(現・大阪府立三国丘高等学校)を卒業後、写真家になるために上海に渡り、その後香港やシンガポールにも渡る。1927年に帰国後、玉子と結婚[2]。1929年に芦屋で写真材料店を開き、「ハナヤ勘兵衛」と名乗るようになった[2]。
1930年に、中山岩太が中心となり結成された「芦屋カメラクラブ」に紅谷吉之助、高麗清治らとともに参加し、関西での新興写真運動の中心的存在の一人として活躍[1]。その作品には、多重露光やフォトモンタージュを駆使したものが多く、強烈なモダニズムを感じさせ、1932年に創刊された雑誌『光画』にも、その作品が掲載された[1]。当時の作品は、船に取材する機械美を追求したものや、フォトモンタージュによって近代都市を捉えるものがあった[1]。また、戦後も活動を続け後進を多く育てた[2]。
桑田商会・株式会社ハナヤ勘兵衛
代表作
- 船A(1930年)
- 船B(1931年)
- 船C(1930年)
- 以上3点は、構成主義的な作品となっている。(堀野正雄の作品との近接性も感じられる)
- フォトモンタージュ 女とグラス(1933年) - モダンガールとネオンをモンタージュした作品。
- アドウーマン(1954年)
- たそがれ(1936年)
- ナンデェ!!(1937年) - 躍る人間を1つの画面に三重に写し込んで、ブレとともに人物の大きな動きを端的に表現した作品。
- 独楽のある静物(1943年)
- 歯車のある静物(1955年)
- 五月雨の連奏(1962年)
- 桜と焼場(1966年)
- 木のある風景(1963年)
- 早春(1969年)
- 桜(1970年)
- 尾呂志の桜(1973年)
- 校庭の春(1973年)
- 造船所(1981年)