ハリケーン (バンド)

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ハリケーン
Hurricane
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ジャンル ロック
ヘヴィメタル
ハードロック
LAメタル
グラム・メタル 
活動期間 1985年 - 1991年
2001年 - 2003年
2010年 - 2012年
2014年 -
レーベル エニグマ・レコード(en)
共同作業者 クワイエット・ライオット
フォリナー
メンバー トニー・カヴァーゾ (B.)
マイク・ハンセン (Dr.)
ダン・シューマン (Vo.)
カルロス・カヴァーゾ (Gt.)
旧メンバー ケリー・ハンセン (Vo.)
ジェイ・シェレン (Dr.)
ジョン・"ワーディー"・ワード (B./Vo.)
マイケル・ガイ (Gt.)
ジョン・シアラー (Dr.)
ダグ・アルドリッチ (Gt.)
ラリー・アントニオ (B.)
ショーン・マニング (Gt.)
アンドリュー・フリーマン (Vo.)
ジェイソン・エイムズ (Vo.)
マイケル・オマーラ (Vo.)
チャド・カンシーノ (Vo.)
ロバート・サーゾ (Gt.)

ハリケーン (Hurricane)は、1980年代に結成されたアメリカ合衆国ヘヴィメタルバンド1985年にデビューアルバムをリリースした際のオリジナル・メンバーは、のちにフォリナーボーカリストとして活躍するケリー・ハンセンクワイエット・ライオットベーシストとして知られるルディ・サーゾの弟ロバート・サーゾ(ギター)、同じくクワイエット・ライオットのギタリストとして知られるカルロス・カヴァーゾの弟で、自らも同バンドに一時期在籍していたトニー・カヴァーゾ(ベース)、のちにはエイジアなどに参加するジェイ・シェレンドラムス)の4人。

1988年リリースした代表作『オーバー・ジ・エッジ』からシングルカットされた「I'm on to You」は全米ヒットチャートの33位まで上り詰めた[1]

人気上昇

クワイエット・ライオットのボーカリストであるケヴィン・ダブロウが、ロバート・サーゾとトニー・カヴァーゾを引き合わせたのは1980年代前半のことだった。バンドを組むことを決めると、サーゾとカヴァーゾはシンガーのケリー・ハンセン、ドラマーのジェイ・シェレン、そしてギタリストのマイケル・ガイを加入させる[2]。当初はレコード会社の注目をほとんど浴びなかったため、彼らはデビュー・アルバム『TAKE WHAT YOU WANT』を自主リリースし、ツアーを行うことでメジャーレーベルとの契約にこぎつけた。

1986年から1987年にかけて、バンドはストライパーのアルバム『トゥ・ヘル・ウィズ・ザ・デヴィル』に伴うツアーのオープニングアクトに起用された。その後すぐにストライパーと同じエニグマ・レコードと契約を結び、1987年にはゲイリー・ムーアの全米ツアーのオープニングアクトも務めた。

1988年にはメジャー・デビュー作となるアルバム『オーバー・ジ・エッジ』をリリース、パワフルでいてメロディックなサウンドを持った同作は、Billboard 200アルバムチャートの92位まで食い込んだ[3]。このアルバムではアリス・クーパーカバー曲である「I'm Eighteen」が注目されたほか、ジェフ・ジョーンズが作曲しバンド史上最も成功したヒット曲となった「I'm On to You」、そしてタイトルトラックの「オーバー・ジ・エッジ」の2曲がシングルカットされた。

1989年に、サーゾが脱退し、元ライオンダグ・アルドリッチが加入した。このラインナップでは1990年にアルバム『スレイヴ・トゥ・ザ・スリル』をリリースしている。米音楽情報サイトのオールミュージックは同作をバンドの最も注目された作品としているが[4]、商業的には前作と比べ物にはならなかった。しかしながら、同作および関連楽曲が商業的に成功していないことは当時の音楽を取り巻く情勢の変化も関係していることに注目しておかなければならない。実際のところ、『オーバー・ジ・エッジ』と『スレイヴ・トゥ・ザ・スリル』のどちらを最も代表的な作品と位置付けるかは、ハリケーン・ファンの間では激しく議論されつづけている議題である[5]。同作の発表ののち、時を置かずして、アルドリッチはハウス・オブ・ローズに移籍した。残されたメンバーもまもなく、当時隆盛しつつあったグランジ・ロックの猛攻によって崩壊を余儀なくされた。

その後

1990年代シェレンはアンルーリー・チャイルドサークル・オブ・サイレンスの2つのバンドのレコーディングと広範なツアーで忙しい状況にあり、一方ハンセンも相当数のセッションワークスをこなしていた。シェレンはハンセンにアンルーリー・チャイルドの2ndの制作のサポートを打診し、その後すぐに彼らはハリケーンを再結成することで合意した。イギリス生まれのブルースギタリストのショーン・マニング(ケヴィン・ダブロウのギタリストだったこともある)とベーシストのラリー・アントニオを加え、2001年にアルバム『リキフリー』を発表した。このアルバムではギタリストのカルロス・ヴィラロボス(en)とランドール・ストロームが1曲にゲスト参加している。

1990年代後半にはシェレンは継続的なコラボレーション企画であるワールド・トレイドを開始したほか、イエスクリス・スクワイアによるプロジェクトであるコンスピラシービリー・シャーウッドサーカなどで活躍していく。2005年にはジェフ・ダウンズとジョン・ペイン主導下にあったエイジアに加入し、後にエイジアがオリジナル・メンバーでの再結成を果たすと、ペインとシェレン、ギタリストのガスリー・ゴーヴァンによる「エイジア・フィーチュアリング・ジョン・ペイン」として活動していく。

ハンセンはフォリナーに加入し、バンドのフロントマンとして順調にキャリアを積み上げていく。

アルドリッチは元ライオンのバンドメイトであるボーカリストのカル・スワンとともにバッド・ムーン・ライジングを結成し活動したのち、ディオホワイトスネイクでの活動で名声を轟かせるようになる。

マニングは同じく米国で活動する3人のイギリス人ミュージシャンとともに「The Exiles」を結成する。他のメンバーはボーナムのポール・ラファーティ、ベーシストのポール・スタンレー(※キッスのギタリストとは同名異人)とドラマーのテリー・マスコールであった。このバンドは1990年代中盤に空中分解するが、遺されたデモ音源の一部はパット・ベネターのギタリストであったニール・ジラルドの共同プロデュースで1996年にショーン・マニング&ポール・ラファーティ名義のアルバム『The Exiles』(発売元:Indivision/SDM)として日の目を見ることとなる。このアルバムにはジラルドのほか、長きにわたりベネターのドラマーを務めていたマイロン・グランバチャー(日本のバンドKIX-Sのツアードラマーを務めたこともある)や、元アンスラックスのグレッグ・ダンジェロ、リチャード・ベイカーらの録音も加えられている。

2010年にオリジナル・メンバーのロバート・サーゾとトニー・カヴァーゾは、シンガーのアンドリュー・フリーマンとドラマーのマイク・ハンセンを加入させ、2011年にはツアーを実施するとともにアルバムをリリースすると発表した。(実際にはアルバムは2016年現在発売されていない)

2013年にはサーゾがジェフ・テイト主導下のクイーンズライク(分裂騒動に関してはクイーンズライク#ジェフ・テイトとクイーンズライクの分裂 (2012年-2014年)も参照)のギタリストとして参加し、翌年にはサーゾがクイーンズライクとハリケーンの両方でプレイするジョイントツアーを行った。

メンバー

編成遍歴

ディスコグラフィ

出典

外部リンク

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