ハロルド・バッド

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カリフォルニア州ロサンゼルス出身である彼は幼少期をモハーベ砂漠で過ごし、幼い頃には電話線を吹き抜ける風によって生じる騒音に興味を覚えたという。

彼が作曲家としてスタートしたのは1962年のことである。それから後の数年間、地方の前衛的なコミュニティですばらしい名声を集めた。1966年に彼は南カリフォルニア大学の作曲コースを卒業した。

大学卒業後、音楽の制作を進めていくにしたがって彼の作曲はますますミニマル的に変貌していった。彼の実験的な作品のうちでも単調な二つの作品が「Coeur d'Orr」と「Oak of the Golden Dream」という作品である。「Oak of the Golden Dream」はバリ島スレンドロ音階を用いている。「Lirio」と題した長い形式のソロ曲を作った後に、彼はミニマリズム前衛音楽に自らの限界を感じた。1970年に彼は一時的に作曲を中止し、カリフォルニア芸術大学の教職に就いた。ダニエル・レンツ、ジーン・ボーウェン、ジェームズ・テニー、ジョン・ボールデサリーらと活動を共にする。

2年後、彼は教職に就いたまま作曲家として再デビューした。1972年から1975年の間、彼は「The Pavilion of Dreams」というタイトルにまとめられた、4つの自主制作作品を作曲した。それらの作品のスタイルはポピュラー・ジャズと前衛音楽を変わった方法で混ぜ合わせたものであった。

1976年に協会の教職を辞職し、その新しい曲のレコーディングに着手した。レコーディングはイギリスのアンビエントミュージックの創始者であるブライアン・イーノのプロデュースにより進められた。2年後、ハロルドは再デビュー・アルバムである『ザ・パビリオン・オブ・ドリームス』をイーノのレーベルである「オブスキュア・レコード」からリリースした。

彼は独創的でありながら活発にアンビエントミュージックのスタイルを追究していった。ブライアン・イーノとの合作であるアルバム『アンビエント2/ザ・プラトウ・オブ・ミラー』とアルバム『パール』をリリースしたときから、次第に彼の特徴である浮遊した感覚のピアノスタイルを確立していった。アルバム『ラブリー・サンダー』では精巧な電子音のテクスチャーを披露した(シンクラヴィアを導入)。テーマ的な作品である2000年発表のアルバム『The Room』ではミニマリスト的アプローチへの回帰が見られる。

また、カリフォルニア芸術協会からの仲間で、イーノとのコラボレーションにも参加しているジーン・ボーウェンと1981年にCantil Recordsを設立、3枚のアルバムを制作している。

2020年12月8日、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による合併症のため死去した。84歳没[1]

ディスコグラフィ

脚注

外部リンク

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