ハワード・パイル
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デラウェア州ウィルミントン出身で、晩年はイタリアのフィレンツェで過ごした。
1894年からパイルはドレクセル美術・科学・産業協会(現在のドレクセル大学)でイラストレーションを教え始め、1900年には「ハワード・パイル・イラストレーションアート学校」という彼自身の学校を設立した。ブランデーワイン地方のイラストレーターたちやワイエス家のアーティストたちは後にヘンリー・ピッツによって「ブランデーワイン学校」(ブランデーワイン派)と呼ばれるようになった[1]。パイルの有名な生徒にはオリーブ・ラッシュ、N・C・ワイエス、フランク・スクーノヴァ、エリナー・アボット、エレン・バーナード・トンプソン・パイル、ジェシー・ウィルコックス・スミスなどがいる。
1883年に出版され古典となった『ロビン・フッドのゆかいな冒険』は今日でも刊行されているほか、パイルの書物には中世ヨーロッパを舞台にしたものが多く、アーサー王物語の4巻本がその名声を確固たるものにした。
1888年にはオリジナル作品『銀のうでのオットー』を著した。また『ハーパーズ・ウィークリー』や『セントニコラス・マガジン』などといった定期刊行物で歴史物や冒険物の挿絵も描いた。パイルの『鉄の男たち』は1954年には『フォルウォスの黒楯』として映画化された。
パイルは1910年に壁画の研究のためイタリアのフィレンツェへ渡航し、そこで1911年に腎臓病(ブライト病)のため急逝した。
パイルは存命中から広く尊敬されており、現在もなおイラストレーターやファインアーティストたちによって高く評価されている。同世代の画家であったフィンセント・ファン・ゴッホは兄弟に宛てた手紙の中で、パイルの作品のため「感嘆のあまり言葉が出なくなった」と記している[2]。