ハンバーグ (競走馬)

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現役期間 1897年 - 1898年
欧字表記 Hamburg
性別
ハンバーグ
1911年当時のハンバーグ
現役期間 1897年 - 1898年
欧字表記 Hamburg
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1895年[1][2][3]
死没 1915年9月10日[3]
Hanover
Lady Reel
母の父 Fellowcraft
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 C. J. Enright[2][1]
馬主 John E. Madden
→Marcus Daly[2][1]
調教師 John E. Maddenアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
→William Lakelandアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国[2][1]
競走成績
生涯成績 21戦16勝[2][1][3]
獲得賞金 60,380ドル[2][1][3]
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ハンバーグHamburg1895年 - 1915年)は、アメリカ合衆国サラブレッド競走馬種牡馬。19世紀末に21戦16勝の戦績を挙げ、後年1898年の年度代表馬に選出された。1986年アメリカ競馬殿堂入り

出自

ケンタッキー州の生産者、J・エンライト大佐が持つエルメンドルフ農場で生まれたサラブレッドの牡馬である。鹿毛の馬体に幅広の流星を持ち、また後肢2本ともに白徴があったという。1897年、ハンバーグは2歳時にオーナーブリーダーのジョン・エドワード・マッデンによって1,200ドルで購入された。マッデンはハンバーグを自ら調教していたが、本人曰く今までで最も調教の難しい牡馬だったという[2]。しかし、一度調教が思うようになると、ハンバーグはきびきびと運動し、飼葉をモリモリ平らげていった[2]

競走馬時代

2歳時のハンバーグは16戦して12勝を挙げ、マッデンに38,595ドルの賞金をもたらした[1]。特にダブルイベントステークスを129ポンド、またフラッシュステークスオータムステークスでも129ポンドを積まれながら優勝した。さらにエレクトリックハンデキャップで132ポンド、コングレスホールハンデキャップで134ポンド、グレートイースタンハンデキャップでは135ポンドを課せられながらも優勝している[1]。これらの斤量は2歳馬の課せられたものとしては非常に高いものであり、アメリカ競馬名誉の殿堂博物館の解説には、ハンバーグを「若駒として今までにない斤量を経験した馬」と紹介している[1]。また、2歳馬ながら古馬と対戦した経験もあり、9月に行われたフライトステークスでは4歳馬リクイタル相手に2馬身差で敗れたものの、3着馬には10馬身もの差をつけていた[2]。『ニューヨーク・ジャーナル』の記者フランシス・トレヴェリヤンの記事によれば、当時の最強馬ドミノの馬主であるジェームズ・ロバート・キーンをして「ハンバーグのほうがドミノの2歳時より優れている」と語らしめたという[2]

1897年12月、マッデンは銅産業の大御所マーカス・ダリーにハンバーグを購入したいと打診された。当初は50,000ドルを提示していたが[2]、最終的に40,001ドルで売却した[1][2][注 1]。それまでハンバーグはマッデン自身が調教していたが、マーカス・ダリーはハンバーグをビリー・レイクランドの厩舎に引き渡している。ダリーは、モンタナ州ハミルトンに自身の牧場であるのビタールートストック牧場を持っていたが、ハンバーグは東部にあるレイクランドの厩舎に引き続き預けていた。一方のマッデンは、売却した利益を基にレキシントンに自らの牧場を建て、同馬を記念して「ハンバーグプレイス」と名付けている[1][2]

3歳時の初戦は5月26日のベルモントステークスで、まだ調教が足らずぶくぶくに太っていたハンバーグは勝ち馬ボウリングブルックから16馬身差離された3着に敗れた[2][5]。当時、この敗因には不良馬場であったことやスタミナ不足などが考えられた[2]

しかし以降のハンバーグはマッデン所有時と同様に強く、ダリーに多くの勝ち星をもたらした。翌戦のスプリングスペシャルステークスでは8馬身差の勝利、続くスウィフトステークスでは6馬身差で勝利した[2]。これらの競走で手綱を担当した騎手トッド・スローンは、ハンバーグについて「私が今まで乗ってきた中で唯一の偉大な馬だった」と語った[1]。その次のローレンスリアライゼーションステークスではケンタッキーダービー優勝馬のプローディトが対戦相手になったが、ハンバーグは終始先頭を譲らないまま2馬身差で同馬を打ち負かした[2]

最後の競走となったブライトンカップでは、オグデンやハワードマンといった有力馬を相手にしたが、それらを完全に置き去りにした独走劇を繰り広げて優勝した[2][1]

種牡馬入り後

マーカス・ダリーが1900年に没したのち、ハンバーグを含むその所有場も売りに出され、特にハンバーグは最高価格の60,000ドルでウィリアム・コリンズ・ホイットニーに購入された。ホイットニーが1904年に亡くなると、再びハンバーグは競売にかけられ、ホイットニーの息子であるハリー・ペイン・ホイットニーによって70,000ドルで購入され、1915年9月10日に没するまでニュージャージー州のブルックデール牧場に繋養された[2][1]

ハンバーグは種牡馬としても成功し、殿堂馬アートフルなどを含むを含むステークス競走勝ち馬27頭の父となり、1905年にはアメリカリーディングサイアーを座に輝いている。その他、牝馬として初のケンタッキーダービー優勝馬となったリグレットの母父でもある。以下は主な産駒[3]

  • アートフル Artful - 1902年生、牝馬。フューチュリティステークスなど。アメリカ殿堂馬。
  • ボロウ Borrow - 1908年生、騸馬。ミドルパークプレートなど。英米で競走。
  • バーゴマスター Burgomaster - 1903年生、牡馬。ベルモントステークスなど。
  • バスキン Buskin - 1910年生、騸馬。プリークネスステークスなど。
  • ダンデライオン Dandelion - 1902年生、牡馬。トラヴァーズステークスなど。
  • フリゼット Frizette - 1905年生、牝馬。ローズデイルステークスなど。フリゼット牝系の祖。
  • ハンバーグベル Hamburg Belle - 1901年生、牝馬。フューチュリティステークスなど。
  • プリンスユージン Prince Eugene - 1910年生、騸馬。ベルモントステークス。
  • ロージーオグレイディ Rosie O'Grady - 1915年生、牝馬。ファッションステークスなど。

後年の1986年、アメリカ競馬名誉の殿堂博物館はハンバーグの功績を称え、同馬の殿堂入りを発表した[1]

競走成績表

血統表

脚注

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