バヤンチャル

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バヤンチャル(Bayančar、生没年不詳)は、モンゴル帝国大元ウルス)に仕えムスリム官僚の一人。

元史』などの漢文史料では伯顔察児(bǎiyáncháér)、『集史』などのペルシア語史料ではباینچار(Bāyanchār)と表記される。

預言者ムハンマドの末裔を称するサイイドの名家の出身で、雲南の開発などで名高いサイイド・アジャッルの孫にあたる。父親はナースィル・ウッディーンで、兄弟にはバヤンウマルらがいた[1]

バヤンチャルはオルジェイトゥ・カアン(成宗テムル)の即位後より朝廷で重んじられるようになり、1294年(至元31年)には平章テケとともに海賊の取り締まりや河渠・囲田の管理修繕を行う都水防田使司の設立を上奏して認められている[2][3][4]。同年中には宰相格の参議中書省事の地位を授けられたが、これより先に兄のバヤンはより上位の平章政事の地位を授けられていた。そこで、バヤンは兄弟がともに相となるのは避けるべきであると申し出たが、オルジェイトゥ・カアンはこれを退けて両名ともに相として遇したとの逸話がある[5]

しかし、1297年元貞3年から大徳元年に改元したころ、ペルシア語史料の『集史』テムル・カアン紀によると、国庫より購入した宝石が定価の倍額で買い取ったものであり、その差額分を高官が賄賂として受けとったことが判明するという疑獄事件が起こった[6]。これによって「バヤン平章の弟のバヤンチャル(Bāyanchār barādar Bāyān finjān)」を含むダシュマン丞相トイナク・サルバン・イグミシュ・テケ平章・イーサー=ケレメチ・シャムスッディーン=クンドゥーズィーらが逮捕・拘禁されるに至った[6]。オルジェイトゥ・カアンの母のココジンが減免をはたらきかけたこと、またオルジェイトゥ・カアンの尊崇を受けるチベット仏教僧のタムパ・クンガ・タクが彗星を理由に免囚運動を行ったことによりバヤンチャルらは釈放されたという[6]。これを受けてか朝廷におけるバヤンチャルの活動はあまり見られなくなくなり、オルジェイトゥ・カアンの治世中には1305年(大徳9年)に雲南における屯田の再会を命じられたことがみえるくらいとなる[7]

しかし、1323年(至治3年)の南坡の変を経て泰定帝イェスン・テムル・カアンが即位すると重用されるようになり、まず1324年(泰定元年)に太保の称号を授けられた[8]。ついで、1326年(泰定3年)からは宰相格の平章政事に任命され[9]、同年2月には同じ平章のウバイドゥッラーらとともにカアンが不在中の大都留守を預かっている[10][11]1327年(泰定4年)にも引き続き平章政事の地位にあったものの[12]、同年7月にウバイドゥッラーとともに病を理由に解任を求めているが、イェスン・テムル・カアンより認められなかったとの記録がある[13]

1328年(天暦元年)始めにイェスン・テムル・カアンが崩御すると、上都にてその息子のラジバグが即位する一方で、大都ではエル・テムルらがクーデターを起こしてトク・テムル(後の文宗ジャヤガトゥ・カアン)を擁立した(天暦の内乱)。『元史』明宗本紀・文宗本紀などによると、この年8月4日(新暦9月16日)黎明、エル・テムルは百官を興聖宮に招集し、居並ぶ者達に向かって「クルク・カアンには聖子が2人おられ、孝友仁文を備え、天下の正統は彼等にこそある。我らはまさにクルク・カアンの遺児を擁立すべく、従わぬ者があらば斬る」と宣言し、これに従わなかった平章政事ウバイドゥッラー・バヤンチャルらをまず捕縛したという[14][15][16][17]。その他にも、中書左丞朶朶・参知政事王士熙・参議中書省事トクト(脱脱)・呉秉道・侍御史テムゲ(鉄木哥)・丘世傑・治書侍御史トゴン(脱歓)・太子詹事丞王桓らイェスン・テムル・カアン政権の重臣達は皆捕らえられて獄に下され[18]、同年9月にはウバイドゥッラー・テムゲのみが処刑され、バヤンチャルを含む他の者は流刑とすることが決められた[19][16][20]

これ以後のバヤンチャルの動向は記録がなく、没年も不明である[20]。ただし、ウカアト・カアン(順帝トゴン・テムル)の治世の1338年(後至元4年)8月、バヤンチャルに守誠佐治安恵世美功臣・太師・開府儀同三司・上柱国の称号が贈られ、奉元王への追封、忠宣と諡されたとの記録が残されている[21][20]。ウカアト・カアンはジャヤガトゥ・カアン一派によって暗殺されたクトクト・カアン(明宗コシラ)の息子であり、ジャヤガトゥ・カアン政権によって貶められたバヤンチャルら色目人宰相の再評価がなされたのではないかと考えられている[22]

サイイド・アジャッル家

脚注

参考文献

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