バーバラ・キース
From Wikipedia, the free encyclopedia
Barbara Allen Keith
| バーバラ・キース | |
|---|---|
| 原語名 | Barbara Keith |
| 出生名 |
バーバラ・アレン・キース Barbara Allen Keith |
| 生誕 |
1946年 |
| ジャンル | フォークロック、 カントリーロック |
| 職業 | シンガーソングライター、ギタリスト |
| 担当楽器 | ヴォーカル、ギター |
| 活動期間 | 1967年頃 – 1973年、 1998年 – |
| 共同作業者 | ストーン・カイオーティーズ |
| 公式サイト |
stonecoyotes |
バーバラ・アレン・キース(英語: Barbara Allen Keith 1946年 - )はアメリカのフォークロック・シンガーソングライターであり、1960年代末と1970年代初頭に2枚のソロ・アルバムを録音した。キースは1990年代に自身のファミリー・バンド、ストーン・カイオーティーズと共に再び音楽シーンに登場し、同バンドは現在までに12枚のアルバムを発表し、演奏活動を続けている。
マサチューセッツ州ディアフィールドで生まれ[1]、ヴァッサー大学卒業後にニューヨークへ移り[2]、グリニッジ・ヴィレッジのカフェ・ワッ?で演奏活動をしたのち、1968年にカンガルーというバンドで歌手として初録音をした。他のバンドメンバーはマルチ楽器奏者のジョン・ホール(en)、ギタリストのテディ・スピーリオズそしてドラマー兼ヴォーカリストのN・D・スマート(ザ・リメインズの元メンバー)だった[3]。同バンドは自らのバンド名を冠したアルバム『カンガルー』をMGMレコードから発表した。そのアルバムでキースは「Daydream Stallion」と「The Only Thing I Had」の2曲を書いた[4]。バンドは1969年の早い時期に解散した。ホールはオーリアンズというバンドを結成し、その後、政治家となった[5]。スマートはのちにレスリー・ウェストと共にマウンテンを結成した。そしてスピーリオズはシンガーソングライターのビリー・バットサンと共にホーリー・モーゼズというバンドを結成した[3][6]。
ソロ・キャリア
キースは1969年10月にニューヨークのA&Rスタジオで自らの名を冠したデビュー・ソロ・アルバムを録音した[7]。プロデューサーをピーター・アッシャーが務め、ヴァーヴ・フォアキャスト・レコードから発表されたが、商業的には失敗作だった[8]。評者のリッチー・アンターバーガーは同アルバムを「わずかに平均作を上まわる60年代後期シンガーソングライターの音楽であり、カントリーロックの趣を強く感じさせる」と述べ、キースの歌唱スタイルをマリアンヌ・フェイスフルのそれと比較した[9]。
デビューアルバムと同じく自らの名を冠したキースのセカンド・アルバムは、ジム・ケルトナー、ローウェル・ジョージ、スプーナー・オールダム、ピート・クライナウ、リー・スクラ―およびその他の一流セッション・ミュージシャンを迎えて録音され、1973年にリプリーズ・レコードから発表された。プロデューサーはラリー・マークスが務め、マークスの作曲パートナーであったダグ・ティブルズは同年、キースと結婚した。同アルバムにはシングルとして発表されたボブ・ディランの「見張塔からずっと」のカヴァーおよび「Free the People」を含む自作曲が収録された。「Free the People」は最初、デラニー&ボニーのシングルとして発売されたのち、キースのシングルとしても発売され、その後、バーブラ・ストライサンド、シャーベットその他によって録音された[10]。「The Bramble and the Rose」はパティ・ラヴレスによってカヴァーされ[11][12]、「Detroit or Buffalo」はメラニーやニール・カサールによってカヴァーされた[13]。評者のロニー・ランクフォードは同アルバムを「優れた曲作りと確かなプロデュースが聴きどころの申し分ない力作であり」、「表現力豊かで、ソウルフルな歌手」による歌唱であると述べた[14]。キースは後になって「どう言ったものか、あのアルバムには何人かの偉大なスタジオ・ミュージシャンが参加していたとはいえ……まだ自分を完全に表現し切れているとは感じられなかったのです。そういうわけで、私たちはアルバムの前渡し金を返すと、レコード会社のもとから去りました」[15]。結果として、ワーナー/リプリーズはプロモーションができず、レコードはすぐさま引っ込められた[8]。
キースとティブルズは一緒に作曲演奏活動を継続した一方、音楽シーンからは身を引き、マサチューセッツでの家庭生活に落ち着いた[15][12]。セカンド・アルバムに収録された2人の共作曲「A Stone's Throw Away」は1975年にディラーズによって録音され、1977年にはヴァレリー・カーターによって録音された。同じく共作曲の「Pride of Franklin County」は1976年にタニヤ・タッカーによって録音された[8]。
ストーン・カイオーティーズ
1990年代に、バーバラ・キースとダグ・ティブルズはティブルズの息子(キースの義理の息子)であるジョン・ティブルズと共にストーン・カイオーティーズを結成し、時折りギグを行ったり、レコーディングをし始めた。キースはエレキ・ギターとヴォーカルを担当し、ダグ・ティブルズはドラムを担当し、そしてジョンはベースを担当した[16]。ロサンゼルスのトゥルバドゥール(en)で演奏していたところを、作家のエルモア・レナードが目にして、レナードはストーン・カイオーティーズを自身の1999年の小説『ビー・クール』に登場するバンドのモデルとして使った。バンドは長年に亘って演奏および録音活動を継続した[8][12]。ダグ・ティブルズは2023年4月12日に亡くなった[17]。