バーバラ・ジョージ
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ジョージは1942年8月16日、ルイジアナ州ニューオーリンズのチャリティー病院で生まれた。出生名はバーバラ・アン・スミスであった[2]。彼女はニューオーリンズ市内のナインス・ワードで育ち、教会のクワイアーで歌うようになった。彼女はジェシー・ヒルによって見いだされ[3]、彼は音楽プロデューサーのハロルド・バティストに彼女を紹介した[4]。バティストのレーベル、A.F.O.(All For Oneの略)レコードからリリースとなった彼女自作のデビュー曲「I Know (You Don't Love Me No More)」は1961年暮れにシングル・リリースとなり、R&Bチャートの1位、ポップ・チャートでも3位を記録するヒットとなった[3]。この曲は後にフレディ・キング、ポール・リヴィア&ザ・レイダーズ、ザ・マージービーツ、アイク&ティナ・ターナー、ボニー・レイットら多くのアーティストにカバーされた[5]。
彼女の唯一のアルバムである1961年の『I Know (You Don't Love Me No More)』には12曲が収録され、うち11曲についてはジョージがソングライターとしてクレジットされている[6]。
デビュー・シングルに続いてリリースとなった2曲の自作のシングル「You Talk About Love」(A.F.O.レコード)と「Send For Me (If You Need Some Lovin')」(スー・レコード)は1962年にポップ・チャート入りはしたものの、デビュー曲ほどのヒットとはならなかった[3][7]。
セネター・ジョーンズのプロデュースによる1979年の「Take Me Somewhere Tonight」を始めとする後のレコーディングの売り上げは一層限定的なものとなり、ジョージは1980年代初頭にはほぼ引退状態となった[3]。1989年にアコーディオン/ハーモニカ奏者のサンパイ・バーンズとダウンホーム・ブルース・バンドを結成[8]。1990年にはバーンズも参加し、ミルトン・バティストのプロデュースでアルバム「Bad Luck & Trouble」をカセットでリリースしている[9][10]。
彼女はウィリー・デヴィルのアルバム『Victory Mixture』(1990年)にバックボーカルで参加している[11]。
2001年にニューオーリンズ市内のガレリア・ホールで行なわれたアーニー・ケイドーの葬儀で歌ったのが、彼女にとって最後の公でのパフォーマンスとなった[12]。
ジョージには3人の息子、テヴィン、アルバート、グレゴリーがいる。テヴィンはプロボクサーとなった。1996年のゴールデングローブの米国の勝者として記録され[13]、続いてオリンピック選手の候補となっている。
ジョージは1990年代に肝臓の疾患と診断された。彼女は2006年8月10日、後年10年ほどを過ごしたルイジアナ州ショーヴィンにて肺の感染症により死去した。63歳没。64歳の誕生日の6日前のことであった[2][14]。