パウリーニョ・ダ・コスタ

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パウリーニョ・ダ・コスタ[1]Paulinho da Costa、本名:Paulo Roberto da Costa、1948年5月31日 - )は、ブラジルリオデジャネイロ出身のパーカッショニスト。アメリカに移ってからは、西海岸カリフォルニア州ロサンゼルスを中心に活動している。

出生名 Paulo Roberto da Costa
生誕 (1948-05-31) 1948年5月31日(78歳)
概要 パウリーニョ・ダ・コスタPaulinho da Costa, 基本情報 ...
パウリーニョ・ダ・コスタ
Paulinho da Costa
パウリーニョ・ダ・コスタ(2008年)
基本情報
出生名 Paulo Roberto da Costa
生誕 (1948-05-31) 1948年5月31日(78歳)
出身地 ブラジルの旗 ブラジル リオデジャネイロ
ジャンル ジャズ、フュージョン、ディスコR&Bラテン音楽ロックポップスアダルト・コンテンポラリー
職業 ミュージシャン
担当楽器 パーカッション
活動期間 1958年 -
レーベル A&Mコンコードパブロ
公式サイト paulinho.com
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ブラジル、リオデジャネイロ市出身。[2]1972年にダ・コスタはロサンゼルスに移り、1973年から1976年までセルヒオ・メンデスと共演した。彼はディジー・ガレスピーを通じてノーマン・グランツに紹介され、グランツのレーベルであるパブロ・レコードと契約した。ダ・コスタはグランツおよびパブロ・レコードとの関係により、アメリカで永住権を取得することが可能となった。ダ・コスタはパブロ・レコードから3枚のソロアルバムを録音している。

ロサンゼルス滞在中、彼は他のアーティストとも共演し、有名になった。彼がロサンゼルスで最初に録音したアルバムは、ミラクルズ[3]とのものだった。彼は1975年に彼らのチャート1位を獲得した曲「ラヴ・マシーン」に参加した。ダ・コスタはエラ・フィッツジェラルドと共に、『エラ・アブラサ・ジョビン』の共同プロデュースを務めました。また、ディジー・ガレスピー、ジョー・パスミルト・ジャクソンとも幅広く仕事をした。さらに、ダ・コスタは様々なジャンルに挑戦し、テイスト・オブ・ハニー[4]アリーヤアース・ウィンド・アンド・ファイアドナ・サマータヴァレスマイケル・ジャクソンマドンナロッド・スチュワートライオネル・リッチーグロリア・ゲイナーほかのアーティストと共にレコーディングを行った。様々な分野で活動し、大量の共演、演奏数を誇った。

ディスコグラフィ

アルバム

  • 『アゴーラ』 - Agora (1977年、Pablo)
  • 『コルコヴァード』 - Tudo Bem! (1978年、Pablo) ※with ジョー・パス
  • 『ハッピー・ピープル』 - Happy People (1979年、Pablo)
  • Paulinho da Costa (1984年、Globo)
  • 『サマー・シルエット』 - Sunrise (1984年、Pablo) ※日本では「L.A.ザ・セッション」名義
  • 『ブレイクダウン』 - Breakdown (1991年、A&M)

脚注

関連項目

外部リンク

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