パサールバル

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ジャラン・アンタラに近接するパサール・バルの門(2009年)
パサール・バル、1885年-1900年

パサール・バル(オランダ語: Passer Baroe)は、インドネシアジャカルタ首都特別州にある商業地区であり、パサールバル通りを中心とする地域である。所在地はパサールバルサワーブサール中央ジャカルタである。1820年に創設され[1]、ジャカルタ最古のショッピング地区とされる[2]

パサールバル通り南端はアンタラ通りおよびパサールバル南通りに接し、さらにジャカルタ芸術劇場に近いポス通りと交差する。北端はキアイ・ハジ・サマンフディ通りに接し、メトロ・パサールバルおよびグレジャアヤム通り付近に位置する。通りの両側には衣料品店、繊維店、仕立屋、スポーツ用品店や靴店、眼鏡店、金製宝飾店などが立ち並ぶ。

同地区にはインド系インドネシア人が多く居住している。彼らは主に布地、スポーツ用品、靴などを販売している。2002年時点で、ジャカルタに登録されているインド系住民は約2,000世帯であり、その大半は市中心部、とりわけパサールバルおよびピントゥアイル地区に居住していた[3]。地区内にはインド系住民の礼拝所も存在する。

20世紀初頭、トコ・デ・ゾン前のパサールバル

本商業地区は1820年、ジャカルタがバタヴィアと呼ばれていた時代に「パッセルバル」として建設された。当時の主な利用者は、リースウェイク(現在のジャラン・ベテラン)に居住していたオランダ人であった[2]。商店群は中国風建築およびヨーロッパ建築の様式で建てられた。

現在まで営業を続ける古い店舗には、キミア・ファルマ薬局、リー・イー・セン商店、家庭用品店メラティ、時計店チュン=チュン、眼鏡店セイス(トゥン・リエ)などがある。古くから営業する仕立屋にはイサルダス、ハリオム、ゲヒマルがあり、女性客はボンベイやリララムの布地店を利用していた[4]。かつて存在した大型店舗にはトコ・エウロパやトコ・デ・ゾンがある。小売企業マタハリ・プトラ・プリマは1958年にパサールバルで事業を開始した[5]

北端一帯はかつて漫画販売業者の集積地であった。また、グローブ劇場、キャピトル劇場、アストリア劇場(サトリア劇場)などの映画館がピントゥアイル地区に存在した。パサールバルはバクミ・ガン・クリンチ発祥の地でもある。同飲食店は1957年、ジャラン・ピントゥ・ベシのグローブ劇場前で屋台の麺販売として創業した[6]

交通

脚注

外部リンク

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