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パストゥール・ビジムング

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パストゥール・ビジムング
ルワンダの旗 ルワンダ共和国第3代大統領
任期
1994年7月19日 – 2000年3月23日
首相フォスタン・トゥワギラムング
ピエール=セレスティン・ルウィゲマ(英語版)
ベルナール・マクザ
副大統領ポール・カガメ
前任者テオドール・シンディクブワボ(英語版)
後任者ポール・カガメ
個人情報
生誕 (1950-04-30) 1950年4月30日(75歳)
ギセニ県、ルアンダ=ウルンディ
政党ルワンダ愛国戦線(1990年-2000年)、民主革新党(2001年- )
配偶者セラフィナ・ビジムング
出身校ルワンダ国立大学
ストラスブール大学

パストゥール・ビジムング(Pasteur Bizimungu, 1950年4月30日- )は、ルワンダの政治家、第3代大統領。フツ族。

1950年にルワンダのギセニ県に生まれる[1]。政治学者の Filip Reyntjens によれば、ビジムングは1970年代に学生として急進的な反ツチ族グループと関係を持っていた[2]。しかし後にはフツ系政権に対抗するルワンダ愛国戦線(RPF)に加わることになった[2]。妻のセラフィナはツチ族の出身である[1]。ビジムングは1994年のルワンダ虐殺の後、ルワンダの大統領を務めた。

開発国民革命運動との関係

1980年代と1990年代に、ビジムングは1994年までルワンダを統治した開発国民革命運動(MRND)の政府内で勤務していた。1990年より以前、ビジムングはフツ系大統領のジュベナール・ハビャリマナと密接な関係にあった[2]。この期間中、ビジムングは国営電力会社であるエレクトロガズ社(Electrogaz)の社長を含むいくつかの役職を務めた[1]。

1990年に兄弟のルワンダ国軍の大佐が殺害された後、ビジムングはルワンダ愛国戦線(RPF)に加わった[3]。当時、RPFはウガンダからルワンダへ侵入し、ルワンダ紛争を開始したばかりであった[1]。ビジムングはベルギーで亡命生活を送っていたが、RPFへ加入後は党のブリュッセル本部において情報責任者を勤めた[2][4]。また、1993年に成立したアルーシャ協定における交渉を支援した[1]。

1994年4月6日に発生した飛行機撃墜事件によってハビャリマナ大統領が死亡した後、民族過激派がルワンダ虐殺を引き起こすことになった。

大統領職

民主革新党

出典

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