ポール・カガメ
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ベルギー領ルアンダ=ウルンディのギタラマ県ルハンゴ出身[1]。
少数派のツチが権力を掌握していたルワンダでツチとベルギー当局との関係悪化に伴い1960年に多数派のフツが万聖節の騒乱を起こし、カガメは家族と共にウガンダ西部トロのカフンゲ難民キャンプで過ごし、ナタレ学園で学んだ[2]。1979年にヨウェリ・ムセベニ率いる国民抵抗運動/軍 (NRM/A) に参加しウガンダのオボテ独裁政権の打倒を目差してゲリラ闘争を行う。1986年にオボテに代わったティトー・オケロを逐ってムセベニ政権が誕生すると、カガメは国民抵抗軍(勝利により事実上のウガンダ軍となる)の情報部長官に就任し、公的にも一時ムセベニ大統領の側近となった。
1990年10月、ウガンダに拠点を置く反政府ゲリラ組織ルワンダ愛国戦線 (RPF)がルワンダを越境攻撃し北部を制圧。その頃カガメは米国レブンワース基地のアメリカ陸軍指揮幕僚大学で軍事訓練を受け、後にRPF最高司令官となる。当時のジュベナール・ハビャリマナ政権をフランス、ベルギーなどが支援し、戦闘は膠着状態に。長期に渡る和平交渉を経て、1993年に和平が成立。しかし1994年にハビャリマナ大統領と隣国ブルンジのンタリャミラ大統領が搭乗する航空機が撃墜され死亡すると(ハビャリマナとンタリャミラ両大統領暗殺事件)、政府軍及びフツ強硬派民兵インテラハムウェによるツチなどへのジェノサイドが発生、推計で約80万人が死亡した。するとカガメ率いるRPFはツチ保護を名目に全土を制圧し、フツのパストゥール・ビジムングを大統領とする新政権を発足。カガメは副大統領兼国防相に就任し、事実上政権を掌握し、軍事的にも同国に強大な影響力を保った。
1998年2月、カガメは正式にRPFの代表となり、2000年にビジムング大統領が辞任したことを受け、副大統領であったカガメが同年3月24日に暫定政権大統領に就任、4月22日に正式な大統領となった。2003年8月25日に1994年以来はじめて実施された大統領選挙にて約95%の得票率で当選し、同年9月12日に就任した。2010年の大統領選挙でも得票率93.08%の圧勝で再選されている。2015年には憲法172条の改正により2034年まで大統領職にとどまることが可能となった[3]。2017年8月4日の大統領選挙では中国[4][5][6]などからの投資を積極的に受け入れて「アフリカのシンガポール」[7]「アフリカの奇跡」[8]とまで呼ばれる順調な経済成長を背景に得票率98.70%の圧勝で3選[9]。2018年度のアフリカ連合議長を務め、アフリカ大陸自由貿易協定の設立を主導した[10]。2024年7月15日の大統領選挙ではカガメを批判する候補者8人が立候補届け出の時点で失格にされた上で執行され、得票率99.18%で4選された[11]。

