パッツ・キング・オブ・ステーキ
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| パッツ・キング・オブ・ステーキ | |
|---|---|
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夕暮れ時の店舗 | |
| レストラン情報 | |
| 開店 | 1930年 |
| 国 | アメリカ合衆国 |
| 州 | ペンシルベニア州 |
| 市 | フィラデルフィア |
| 座標 | 北緯39度55分59秒 西経75度09分33秒 / 北緯39.933175度 西経75.159238度座標: 北緯39度55分59秒 西経75度09分33秒 / 北緯39.933175度 西経75.159238度 |
| ウェブサイト | PatsKingOfSteaks.com |
パッツ・キング・オブ・ステーキ(Pat's King of Steaks)または、パッツ・ステーキ (Pat's Steaks)はアメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィアにあるチーズステーキ専門店である。
この店は、チーズステーキの発明者と称されるパットとハリーのオリヴィエリ兄弟によって1930年に設立された[1][2][3]。
お家騒動

元々この店は1930年にパットことパスカル (1907年–1974年)とハリー(1916年5月25日 –2006年7月22日) のオリヴィエリが始めたホットドッグの屋台である[3][5]。パットはそり製造、ハリーは大工の仕事をそれぞれ掛け持ちしていた。
オリヴィエリ家の者によると、1933年に兄弟がいつもと違うものを食べたいと考えた。パットは安いステーキの材料を調達させるべくハリーを市場に送り込んだ。そして、彼らはステーキ肉を薄く切り、刻みタマネギとともに焼いた。その時生じた香ばしい匂いが常連客であるタクシー運転手の注意を引き、兄弟がステーキサンドイッチ[注釈 1]と呼んでいたそれを自分にも分けてくれと頼んだ。そして、パットはそのサンドイッチを10セント (2ドルに相当)で売った。これがのちにチーズステーキの原型となる[7]が、この時点ではまだチーズがかかっていなかった。
このサンドイッチはタクシー運転手の間で評判となった[8]。兄弟はホットドッグからこのサンドイッチの専門店に鞍替えした。
1972年にハリーが心臓を患ったために日常的な経営業務から身を引いた後も、店に通い、顧客との交流を温めた。
1980年代に事業の拡大とフランチャイズ経営をやめた後、事業はオリヴィエリ家の間で分割された[9]。この事業分割の顛末は#お家騒動を参照。
ハリーは自分の子どもたちと彼らのいとこたちとともに店を所有していたが、最終的にハリーの子どものひとり・フランクが買収し[7] 、ハリーの孫であるフランク・ジュニアのちに店を切り盛りすることとなった。
晩年、ハリーは娘たちとともにニュージャージー州ブリゲンティーンで、余生をすごしたのち、2006年に90歳で 心不全のため ニュージャージー州ポモナにて亡くなった。
パットの息子であるハーバートはパッツ・キング・オブ・ステーキの事業拡大に携わっていた[9]。ハリーとフランクは同じ場所で経営を続けていた一方、ハーバートはReading Terminal MarketにてOlivieri's Prince of Steaks を開いた。ハーバートの息子のリックは1990年代半ばにRick's Original Philly Steaksに改名したが、王冠のロゴの使用およびパットへの言及は続けられていた[9][10][11]。
2006年、パッツ・キング・オブ・ステーキは、王冠のロゴや創業者である「パット・オリヴィエリ」の名前の使用を理由に、商標権の侵害と希薄化、そして不正競争のかどでRick's Original Philly Steaksを訴えた[12]
最終的に訴訟は2007年8月で和解し、その条件は明言されなかった。原告側のフランク・ジュニアも、被告側のリックもそれぞれ和解に満足している旨を話した[13]
2008年、Rick's Original Philly Steaksは廃業した。その後もリックは別の場所で Rick's Steaksを開いたが[14]、そちらも閉店した。2022年、リックは前頭側頭型認知症で亡くなった[15]。
特徴


パッツ・キング・オブ・ステーキは注文方法が独特だと言われている。まず、タマネギの有無を指定し、入れる場合は"wit"(with)、抜いてほしい場合は"wit-out" (without)と告げる。この言い回しはフィラデルフィア訛りに由来する。チーズの種類も、チーズウィズ, プロヴォローネ,一般的なアメリカン・チーズ, Cooper Sharp American cheeseから選べるほか、チーズ抜き(プレーン)も指定可能である。