パナイト・イストラティ

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パナイト・イストラティPanait Istrati, 1884年8月10日 - 1935年4月18日)は、ルーマニア作家

1884年にルーマニア南部、ドナウ川下流の港町ブライラ生まれ。父親はタバコ密輸業者。貧窮家庭に育ち、中学校には進学せず、12歳で母のもとを去る。ロシア革命の影響を受けて、20歳のときに社会主義運動と接触。その後、近東を中心に地中海沿岸を放浪。1916年、スイスサナトリウムに入院。ペンキ塗り、電信柱埋め、スケート場の氷をきれいにするなどの仕事で金を工面し、療養生活に励む。このときに、ヴォルテールルソーを読み、フランス語に習熟。

1921年に剃刀で喉をかき切り自殺未遂。36歳のときにロマン・ロランに人生の手記を書くようすすめられて執筆を始める。『キラ キラリナ』の原稿をロマン・ロランに送ったところ「すごい作品だ! 今日の文学でこの種のものは皆無」と激賞され、創刊されたばかりの「ウーロップ誌」に「バルカンのゴーリキー」という触れ込みのもと掲載される。リーデル社より出版されると、先例のない売れ行きをみせた。

『アンゲル叔父』は文壇の評判が鈍かったが、見かねたプロレタリア文学のリーダー格アンリ・プーライユが「名を冠さない賞」を創設し、授与した。

作品

日本語訳

参考文献

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