パンツァーブリッツ
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| デザイナー | ジェームス・F・ダニガン |
|---|---|
| 販売元 | アバロンヒル |
| プレイ人数 | 2 |
| 対象年齢 | 10歳以上 |
| 準備時間 | 15分 |
| プレイ時間 | 45~180分 |
| 運要素 | 普通 |
| 必要技能 | 戦略的思考 |
パンツァーブリッツ [注釈 1][1](en:PanzerBlitz)は、1970年に米アバロンヒル社から発売されたシミュレーションボードウォーゲームである。第二次世界大戦の東部戦線の機甲戦をシミュレートするもので、先駆的ないくつかのものを除き世界で最初に商業的に出版された戦術級ウォーゲームと言われており、1970年代に最も人気のあったウォーゲームととして知られる。その革新的なコンセプトは、のちに標準となるいくつかのコンセプトの先駆けとなった。
パンツァーブリッツ は、東部戦線におけるソ連軍とドイツ軍の戦術的戦闘を小中隊規模の歩兵と個々の兵器、車両レベルシミュレートするものである。これ以前の陸上戦闘を扱うウォーゲームでは、師団や連隊といったより大規模な部隊の運用に焦点を当てたものだっため、この規模のシミュレーションは斬新なものであった。
また、ゲームプレイにおいての革新は、駒(ユニット)が自分の手順(ターン)に射撃か移動のいずれかしか行えず[注釈 2]、さらに敵ユニットを完全に撃破することが困難なため、プレイヤーは単に戦力を集中させるだけでなく、諸兵科連合を強く意識する必要があった。
このゲームには、東部戦線で使用された主要車両の多くが含まれ(トラックや迫撃砲などの各種砲やレンドリース法によって貸与されたシャーマンまで網羅されている)、これらの技術情報がユニットに記載されていた。
さらに、地図版を任意に組み合わせて様々なシチュエーションを再現する、独自のシナリオをプレイヤー自身が作成できるなどの概念を取り入れた先駆的なゲームでもあった[2]。
ゲームの詳細
ゲームスケール
ゲームボードの六角形のマス(ヘックス)は250メートル、1ターンは6分、ユニットは中隊と小隊を表す[注釈 3]。
主なコンポーネント
352個のユニット、自在に組合わせることができるフルカラーで印刷され裏打ちされた3枚のゲーム盤、ルールブック、チャートシート、シナリオカード、デザイナーズノート[3]
デザイン哲学
後で述べるような革新的な技術が詰め込まれているにも関わらず、基本システムは非常にシンプルである。これは正確さよりもプレイアビリティとデザインの洗練性を重視したアバロンヒルの設計哲学によるものである。ゲームメカニクスは抽象的で、完全な正確さのシミュレーションではなく、機甲戦のリアルな「感覚」を提供することを目指していた[4]。
メカニクス
- ゲームボードを自由な組み合わせで配置することで(そのために端の道路や川の位置が一致している)、様々な戦場を再現できるマップボード。これはダニガンの初期のバージョンにはなくアバロンヒルが発明したもので[注釈 4]、のちのスコードリーダーシリーズ(en:Squad Leader)[1]等でも頻繁に採用された[5]。
- 装甲ユニットは、従来の標準的な兵科記号ではなく車両のシルエットで表現されており、ミニチュアゲームを彷彿としており、アバロンヒルのゲームパッケージ品質に対する評価をさらに高めることとなった。
- このゲームには12のシナリオ(シチュエーション)が含まれていたが、それに限定されず"Situation 13"と呼ばれる"Design-Your-Own" (あなた自身で作るシナリオ)の作成手順も含んでいた。デザイナーズノートには、ソ連戦車軍団の戦闘序列を再現するためのユニット構成も記載されていたが、標準セットではユニットが不足するため、複数のセットを持ち寄るか、アバロンヒルからカウンターセットのみを取り寄せる必要があった(ただし、プレイヤーにはそのような購入は控え盤上のユニットの密度を低く抑えるように促されていたが)。この開放的なアプローチによって、パンツァーブリッツは非常にプレイアビリティの高いゲームシステムとなり、後のゲームにもしばしば採用されることとなった。
- デザイナーズノートには、ユニットの元となった兵器の技術的なデータをどのようにゲームに組み込んだかの説明がなされているが、それは前例のないものだった。ただし前述のとおり、プレイアビリティや機甲戦の感覚再現を優先するためにその数値が修正されていることも併せて記載されている。
シミュレーションとしての問題点
- Panzerbush syndrome (パンツァーブッシュ症候群): 森のへクスでは戦車が隠蔽されることを利用して(移動中に開放地を通過したとしても)、森から森へ飛び移るように移動し攻撃から身を守る行為。この欠点は面倒な選択ルールによって克服を試みてはいたものの、ごのゲーム自身を指す別称ともなっていた[6]。この後に発売された「パンツァーリーダー」や「アラブ・イスラエル戦」[1]では、臨機射撃や間接視認、さらには砲撃を行えば視認されるというルールによってこれを解決している。
- Truck burners: ゲームに含まれるトラック部隊は歩兵の輸送や砲の牽引のために準備されたユニットだが、これをルールの抜け穴を利用することで非現実的な運用を行うことが出来た:
- トラック偵察隊: 森の中など隣接しなければ視認できない場所に敢えて接近し強力なユニットと協同して射撃を行う
- 道路封鎖: 道ヘクス上のユニットへは蹂躙攻撃が出来ないことを利用しトラック部隊で敵戦車部隊の移動を阻止する
出版の経緯
1960年代後半、ゲームデザイナーで のちにSPI社を設立するジェームス・F・ダニガン(en:Jim Dunnigan)は、数人の仲間たちとデザインチームを結成し、"Test Series Games"というゲームを自主出版していた。
ダニガンは1968年、前年にアバロンヒルのために開発した「ジュトランド沖海戦」の陸戦版をデザインすることを思い立ち、"Highway 61"というプロトタイプゲームを開発した。初期の版にはゲーム盤すらなかったが[注釈 5]、デザインチームはすぐにヘクスグリッドを刻んだゲーム盤を開発し、さらにAFVだけでなく歩兵や砲のユニットやルールを追加し、その他指揮系統のルールなどが追加することで、最終的にはルールブックが数インチの厚さになったという[注釈 6]。ダニガンはこれらのルールを整備し扱いやすくしたうえで、1969年に"Tactical Game 3 (Russia 1944)"というタイトルで"Test Series Games"の3番目のタイトルとして自主出版した。[7][4][8](p23)[注釈 7]。
アバロンヒルは、1970年後半のゲームラインナップに穴があき、かつ同年出版した"Kriegspiel"の評判も芳しくなかったことから[注釈 8][9]TAC3に目をつけ、ダニガンもSPI社の運営資金を確保したかったことから、ダニガンはロイヤリティを保持したままアバロンヒルに売却した。アバロンヒルは徹底的なプレイテストでルールを精緻化するとともに、自在に結合できるゲーム盤や12個のシナリオ、優秀な美術デザイナーによるコンポーネントを追加し同年末に"PanzerBlitz"として発売した[注釈 9]
"PanzerBlitz"は圧倒的な好評を得て[注釈 10]、1970年代から1980年にかけて、北米で最も売れたボードウォーゲームとなった[11]。ダニガンは最終的に25年間で32万本を売り上げたと主張している[12]。いずれにしろこの売却益により、ダニガンはSPI社の業容を拡大するための資金を得ることが出来た。
パンツァーブリッツは、ブックケースゲームとして発売された2番目のウォーゲームである[注釈 11]。当初は箱の外側にさらにスリップケースを纏った豪華なものであったがのちのバージョンからスリップケースは添付されなくなった。
続編
アバロンヒル
アバロンヒルは1974年に、パンツァーブリッツの西部戦線版である「パンツァーリーダー」を、1977年には中東戦争の戦車戦を再現する「アラブイスラエル戦」を出版した。これらのゲームはゲームシステムやスケールに互換性があり、相互にコンポーネントを交換してプレイすることが出来た。
MMP社
アバロンヒルがハズブロに買収されて後、Multi-Man Publishingは同ゲームの権利を取得し、2009年の"PanzerBlitz: Hill of Death"などの続編をリリースしている。チットシステムの導入などで同時進行性を高めている[13]。
非公式な続編
1973年にJagdPanther Publicationsという出版社より、同ゲームのシステムを利用したエクスパンションキットが発売されていた[14]。
ダニガンは1972年に自身のSPI社より、アバロンヒルの「パンツァーリーダー」に先駆けて、西部戦線版パンツァーブリッツと言うべき"Combat Command"をStrategy & Tactics誌30号の付録としてデザインした[15][注釈 12]。また、1975年には同テーマの" Panzer'44"と、現代戦テーマの"MechWar '77"をデザインし出版したが、後の2作は移動や攻撃を事前にプロットするシステムであったためプレイアビリティを阻害していると指摘されている。